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8 つながる生命

AD2022.8.24
New Sirius Cycle1.35   kin69 赤い自己存在の月の年
月の月2日目 WS黄色い人 kin98白い共振の鏡

ここ最近出逢ったお友達の投稿から「なぜ、いるのか。」というキーワードをいただき、突き詰めると、〈自分・わたし〉というスケール、意識の問題だなぁと感じました。

例えば、人っこ一人いない、砂漠の中で、人間であるわたしが、そこにいる必然。

瓦礫の山を目の前に、我が子を亡くしたわたしが、そこにいる必然。

今出逢ったばかりの、その子の世界の中に、わたしがいる必然。

今日という時のはじまりに、手を合わせる、しあわせる、祈りの時。

自分という命の動き、インプロヴィゼーション。
今この動きが何に繋がっていくのか、「なぜ今自分がこれを拾ったのか」を想像する、必然を感じとる力。自分も、ついつい目先だけに囚われがちなので、氣をつけようと改めて思いました。

以前に工務店で働いていた時も、上司から「現場」を確認に行く時は、「自分の目に入ったものに、氣づくこと」「自分がそこにいることの意識を強く持て」と諭されました。いつ何時もそうなのだなと、、、。

ここ数日「名前をつける」という人間の識別文化について考えていたのですが
一旦、名前をみんな無くしてみる、と想像してみると(文字も模様のように見てみると)一瞬にして境界がなくなって、あらゆるものが一体に繋がりやすくなる。この遊びはいつでもどこでもできるので、お勧めです笑
生まれたての赤ちゃんというのは、この状態なのですよね。文字文化のなかった古代人は、果たして響きのような、個を現す音の名前があったのか。。。なかったとしたら、今より個体意識もゆるく、自分のアウトラインは自然に溶け込んでいたのだろうと、、
名前という存在の標識がなかったら、自分という存在意識はあちこちに同時にいる感じ、普遍的になっていくのかなぁと。

名前を忘れて、生まれたての赤ちゃんの頃の意識に、一旦リセットしてみる。一体感を感じてみる。というのは、結構これから必要になってくるように感じます。
(高齢になってボケてくる、、というのも、境界をリセットするプロセスでもあるのかな、、、、その起因はなんであれ。)

海の中のような、全体の繋がりを感じることで、自然と自分の動きが生まれる。パズルのピースのように、周りとの繋がりの中で、それぞれの居場所や働きが(それほど考えなくても)わかってくる。それぞれの音が立ち上がってくる。それぞれのピースの形は常に変化しながら、空模様のように、パズルの模様を豊かに塗り変えていく。

わたしが今できることーその大きなEARTの1ピース、1つの模様を担い、紡ぐこと。

8  繋がる動き


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