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銅(炭鉱のカナリア Dr.Copper)の値段が1キロ550円になりました。

(令和4年4月26日一部内容改訂)

銅というのは、我々の身の回りの品にけっこうな量、使われています。あなたが、「あ、ヤベ。電池きれる」と焦りながら握る充電器の"線"。

その充電器の"先っちょ"、それを入れる"穴"。

携帯電話の中、基板。

ふと見上げれば、あなたの部屋の中には照明だったり、家電といわれるものが溢れているわけです。全部、おそらく電気が必要です。だいたい電気が必要とされる部分と、いわゆる電源との間には"銅"が使われているのです。

つまり、「けっこう、大事な金属」なわけです。

炭鉱のカナリアとしての銅

そして、タイトルにあるように、「3月19日の今日、銅の値段が1キロ550円に」なりました。この状況は、株価がどうのこうの以前に、(1) 今後の経済がしばらく不調であること、(一体どれぐらい続くかわからないけれど)一定の期間を経たあと(2) 銅の価値は上り調子になるだろうということを示していると、私は捉えています。

金属取引に携わる人間のなかでは、「経済を占う指標としての銅」の存在は揺るぎないものがあります。

手前味噌で恐縮ですが、私はもうひとつのブログの中で、「銅の値段が1キロ550円」の域に入れば、(2)の状態になるのではないかと予測しました。それも、この状況下では、なんとも言えません。もしかしたら、もっともっと深い闇に引きずり込まれてしまうかもしれません。(実際に、足元の相場はもう少し下を指しています。)

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'99年 銅の値段は1キロ200円台でした

上記の画像は、「低価格・低ボラリティ時代から、高価格・高ボラリティ時代への変遷」を描くために抽出し、私が作成したたグラフです。

このグラフで"見せている"ストーリーは下記の通りです。

・'97 相場は下げ調子
・'99 年初に底値に達し、4年ぐらい横ばい
・'03 後半から上げ調子
・'06 前半に爆上げ
・'08 後半に爆下げ

このストーリーから学ぶことができるのは、「200円に下げても、全然おかしくない」ということは歴史が物語っていることと、「400円で買ったものが、600円になり、1,000円になることも、全然ありえる」ということだと思います。そして、「900円で買ったものが、気が付いた時には300円の価値にしかならないことも全然ありえる」ということです。

低価格・低ボラ時代とは

'99年初から始まった数年の“低ボラ期間(相場の変動が小さい時期)”から学ぶべきことは、なにが挙げられるでしょうか。(上記画像の黄色矢印にあたるフェーズです。)

結論、「キャッシュフローが非常に健全である(=安心して経営ができる)」ということに尽きると思います。

そして、評価損とミスさえなければ、特別"儲かる"わけではないですが、非常に安定した生活が送れると思います。

今となっては、この"安定性"が大いなる魅力たり得ますが、この時代、おそらくもっともっと安定的で、がっぽり儲かる仕事が山ほどあったのだと思います。

なので、「スクラップで一旗あげてやろう!」という人は少なく、競合は少なかったのではないでしょうか

右肩上がり時代とは

まさに、上記画像でいうところの'09年がわかりやすいと思います。おそらく、「爆上げから、爆下げーの、そこからの仕切り直し」が完了したタイミングです。

ギャンブル志向の人間にとっては、魅力的な業界に映ったに違いありません。とっかかりの仕入のベース相場が300円台、年末には600円後半にまで上がっているのですから、「滅多にない儲け話」に違いはありません。

しかも、それ以前に前例があるわけです。'05年に上げて、そのあと3回も大きな打ち上げ花火が続いているのですから。どうやったら成功するのか、失敗するのか、先人たちの知恵が生かされるわけです。一番手堅い"賭け"ができるタイミングと環境であったと思います。

この頃は、謎の資金がジャブジャブにあったでしょうから、色んな方面からのサポートのもと、この業界に参入される方も多かったのではないか。そのように考えています。

ただし、相場が急に上がり続けるということは、「売る値段だけでなく、買う値段(仕入)も高くなる」ということです。

高価格・高ボラ時代とは

画像には載っていませんが、'19年はけっこうボラ高かったと思います。価格に関しても、20年前のそれと比較したら、それはそれは高い状態です。

直近の出来事なので、鮮明に記憶にありますが、数年前の"イケイケドンドン"的な「困ったら中国へ」という大陸依存型経済の崩壊に伴い、商売の仕方も大きく変わりました。

本来であれば、ボラが高いということは、「儲かるときは儲かる」のでしょう。しかしながら、昨今の状況は違いました。需要が弱く、「売りたいときに売れない」し、「売るべきときに、モノがない」という状況が多々あったと記憶しています。

ただ、年の後半にかけて、需要家側による業者の取捨選択および、古くから付き合いのある老舗問屋さんへの傾斜が顕著に進んだと理解しています。収益性だけでなく、流動性に関しても、業界内での二極化が進んだとも言い換えることができます。

銅がここまで元気なくなるってことは、やばいよね

話が長くなりましたが、現在の銅スクラップに携わる人間より、「今のカンジ、やばくない?」という話と、一般社会においても、「もっと、深刻な状況になりかねないよね」という話をさせていただきました。

ただ、ひとつ言えるのは、「下がった相場は上がる」ということですし、逆も然りです。

また、現在の人の流れの滞留が緩和されたとき、「新たな技術革新のもと、新たな需要が生まれる」かもしれません。そういったとき、銅はいち早く、市場の動きに反応します。そして、なにかヒントをくれるかもしれません。

炭鉱のカナリアとしての、経済を占う指標としての、身の回りの生活を支える大事な金属としての。だいぶ特殊な世界ですが、これからも、面白おかしく、この世界内情をお伝えできればと思います。

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