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電線のクズに価値があるって、どういうこと?

(令和4年4月26日一部内容改訂)

このnoteをご覧の皆さんのなかにも、街道沿いのクズ屋さんの敷地に、うず高く積まれた電線の山を目にしたことのある方がいらっしゃるかと思います。

もはや、「うわあ、この会社、ゴミばっかり溜め込んでしまって、このあとどうするつもりなんだろう」とか、人によっては「処分しきれなくなって、どこかの山奥に…」などと考えてしまう人もいるかもしれません。

それ以前に、大概の人は、そもそも"クズ"に興味はないと思います。

でも、電線はお金になります

なんだか、胡散臭い情報商材を売りつける業者のような言い方ですが、電線は、当該業界における最も商品性の高い、純然たるコモディティであります。
(「電線」というと、これから使用される製品としてのそれを指す場合がありますので、ここでは、我々の業界の貴公子を「電線クズ」と呼びたいと思います。)

試しに、「電線 買取」と検索してみると、おそらく大畑商事さんの単価表が出てくると思います。

我々の業界におけるベンチマーク・プライスのリーダーですね。各コモディティに対する説明を、熱く、明快にされています。

結論を述べてしまいますが、「電線(雑線)は、銅を含んでいるから価値がある」ということと、買取業者は「銅の量(期待値)に対して、対価としての金銭を支払う」ということです。

「クズなんて、雑でいいんすよ」なんて言わないで

じゃあ、金属クズ屋さんに、電線を持ち込んでいる人がどうしているかといえば、「雑多な感じ」で売りに出しているわけです。業界では、“雑線”と呼ばれています。

雑多な感じで売り買いするっていうのは、極端なハナシ、「今日は、100kgの"銅含有率65%"と100kgの"銅含有率35%"のミックスを持ってきたから、200kg"銅率50%"で買ってくれ」というオファーから始まり、「異物が付いているから、今回は少し値段下げるよ」というカウンター・オファーを打ち、最終的に両者納得の上で、ディール(契約成立)と相成るわけです。

上記が、この商売の醍醐味ですね。

ハア?なにがオモシロイの?

まず、ひとつ考えられるのは、それぞれ100kgである確証はないわけです。

また、それぞれの銅を含有している歩留まり率が、その通りであるかということも、正直わからない。

ふたつの不確定要素が存在するということです。要するに、値付けに関しては、完全に買い手側の目利きによるものでしかないのです。

売り手側が、50%だと言い張っても、買い手側が「50%じゃない」と見込めば、売り手側の期待する50%の値段では、買い手側は買わないのです。

もちろん、後ろ向きに考えれば、「なんだ、結局、クズ屋なんて、そんなもんか。テキトーだなあ…」という言い方もできるかもしれません。

ただ、買い手側の都合としては、量を継続的に集めたい。安定して、電線クズを持ち込んでくれるお客さんを増やしたいという心理が強く働きます。

時には、お互いの懐事情や、期待値のズレが生まれ、「あれ、その値段でいいの?」という事象も起こります。多少品質が悪くても、「まあ、これぐらいなら、単価で調整できるかも知れない」という局面も、往々にして起こり得ます。

つまり、「買っても損はしないかな」という買手の思惑と、「これぐらいで売りたいな」という売手の思惑が合致したとき、計算式では言い表すことのできない化学反応が生まれ、商売が成立するわけです。

これまでの投稿で言及している通り、金属スクラップの相場は変動します。これまで、500円だったものが、翌週には600円に変動する可能性は大いにあるのです。

また、逆に400円に下がることもあります。このギャンブル的な要素が、金属スクラップを流通させる上での難しさを生むこともありますし、流動性を促進させる要因となることもあるのです。

おわりに

原則、我々の身の回りにある電線・ケーブルは、クズ屋さんに引き取られ、国内外で銅を取り出すために適切にリサイクルされています。(ただ、一部の業者におきましては、銅の回収にばかり目がくらみ、銅以外のクズの処理を適切に行わない者もいます。)

かつては、海外へ輸出すれば、高値で売れました。安い人件費で加工し、"銅以外のクズ"に付加価値を生む術を持ち合わせた国があったからです。

ただ、現在は海外での環境に対する意識の高まり、人件費の高騰を受け、適切な処理をした上で、十分な付加価値を創出することが難しい状態にあるのが実情です。

結局のところ、「有価資源物としての電線クズの真価」は一般の人は誰も知らないし、「単なるクズ」でしかないワケです。

クズとして排出され、価値を見出すことのできる業者にたどり着くまでに、誰かの思惑でいくつもの場所を彷徨い続ける。

時折、メディアで取り上げられる"電線ドロボー"が撲滅できない理由は、そこにあります。商品性が高く、なおかつ高く売れるからです。そして、所有者の名前が書いていない

個人的には、排出する側の「ま、クズみたいなもんだからさ」といった"モノに対する諦め"を、「こんなの捨てるのもったいないよ!高く売れるかもしれない」といった"モノに対する愛着"に置き換えたいと考えています。

真の意味での「サーキュラー・エコノミー」を実現するためには、この"もったいない精神"が必要です。

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