なぜ謝る必要があったのか?

「感謝」という言葉について
前々から疑問に思っていたことがある。

まず「感謝」という言葉について調べてみると、
このような定義が出てくる。

かんしゃ【感謝】
1.《名・ス自他》ありがたく思って礼をいうこと。心にありがたく感ずること。 「―の念を抱く」

要は「ありがとう」ということである。

誰かに助けてもらったとき、
気にかけてもらったとき、
かけがえのないものを感じたとき、

人はその存在に対して
「ありがとう」と言う。
これが「感謝」である。

「ありがとう」は英語で言うとThank you。
念のためThank youも調べてみると、

1. ありがとう、感謝します、おかげさまで
2. よろしく、お願いね◆要求や依頼の後に付け加える

と出てくる。

ここからわかるのは
「ありがとう」と「感謝」は同じ意味
ということ。

では疑問は何かというと、

なぜ昔の人たちは
この「ありがとう」という
気持ちや情念に対して
「感謝」という漢字をあてたのだろう?
ということである。

「感謝」

直訳すると、Feel sorry。

申し訳なく思うこと。
すまないと思うこと。
残念だと思うこと。
あるいはapologize(謝罪する)。

ふーむ...。

なぜ謝る?


一般的に「感謝」や「ありがとう」という言葉は
ポジティブな意味合いで使われる。

「いやー、助かったよ、マジありがとう!」
「今日は一緒に遊んでくれて、ありがとね」
「話を聞いてくれて楽になった、ありがとう」

「ありがとう」という言葉は、
もらうとなんだか嬉しい感じがする。

相手が「どういたしまして」と返せば
やりとりはそこで終了する。
後腐れがないような、スッキリ感がある。
そこに謝ってるような感じはない。

一方、

申し訳ない、
すまないと思うときには

「すみませんでした」
「ごめんなさい」
「申し訳ございませんでした」

と言う。たとえば、

「約束の時間に遅れて、すみませんでした」
「あんなひどいことを言って、ごめんなさい」
「ご要望に沿えず、申し訳ございませんでした」

「ごめんなさい」は
もらって嬉しいかというと
そうでもない

「ごめんなさい」は
許す・許さない」という
状況や関係性を生む。

「ごめんなさい」は
どことなく
反省、後ろめたさ、気まずさといった
ちょっぴり暗い雰囲気がつきまとう。

「ありがとう」(Thank you)と
「ごめんなさい」(Sorry)の
ニュアンスの違いを挙げるとすれば
おそらく、こんな感じだろう。

ここで「感謝」という言葉に話を戻す。

「感謝」という言葉は、
「申し訳ない」(Feel sorry)という記号で
「ありがとう」(Thank you)という意味を
表している。

さっき見たようにこの2つは
ニュアンスは真逆のようだけれども、
「感謝」という言葉には
「ごめんなさい」「ありがとう」の
2つの要素がうまいこと収まっている。
1回で相反する2つのことを
伝えているのである。

すごい漢字ではないか。

なぜ昔の人たちは
この「ありがとう」という
気持ちや情念に対して
「感謝」という漢字をあてたのだろう?

なぜ
「感幸」(Feel happy/幸せを感じる)でも
「感良」(Feel good/素晴らしいと感じる)でも
「感満」(Feel satisfied/満たされたと感じる)でもなく
「感謝」なのか。

なぜそこで「謝る」必要があったのか?

あやま‐る
《五自他》
1.
失敗する。間違う。
 「答が―・っている」
2.
不注意や考え違いから他人などに悪い結果を及ぼす。
 「後世を―説だ」
《五自他》
1.
悪かったと思ってわびる。
 「弟の不始末を姉が―」
2.
閉口する。閉口して断る。
 「そんな面倒な事はこちらから―よ」

(ついでになぜ「謝る」と「誤る」は同じ音なのだろう?)


ところで、感謝の念を示すとき、
手をあわせることがある。合掌。
絵文字にすると「🙏」。

ところがスマートフォンで
「ありがとう🙏」と打とうとすると、

画像1

自分のスマホの予測変換には
ニッコリマークしか出てこない。
対して「ごめん」と打つと

画像2

こっちには合掌の絵文字が出てくる。
(ついでに土下座も)

そういうわけで
いつも「ありがとう」と打った後に
「ごめん」と打ってこの絵文字を
入力する羽目になってしまう。

どうして「ごめん」の予測変換には「🙏」が出てくるのに
「ありがとう」には「🙏」が出てこないのか。

いろいろ疑問である。
学生からのLINEにはよくこの「🙏」と「🙇‍♂」が出てくる。



これについてはまだ答えは出さないでおくとして、
ひとまず今日は問題提起するに留めておこう。

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