君や 僕に ちょっと似ている

今まで、自分が作ってきたものたちは、それらが自分からどんなに遠くへ行ってしまっても、自分と繋がっていて、自分の体の一部であるかのようだった。

最近、レゾネ制作を通して自分の作品をかなり冷静に、且つ客観的に見ることができた。それは自分史ではく、作品史であった。作品の緩やかな移り変わりは、作者以上にしっかりと人生という道を歩いてきたように思える。

思い返すに、2001年の横浜個展では、作品たちはあくまでも僕のものであり『I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.』という展覧会タイトルのように突き放すことだって平気だった。どんなに突き放しても、作品は自分と共にあるという確信があった。世の中には自分と作品しかないよう感じていたし、逆にオーディエンスにこそ『僕のことを忘れて欲しい』とさえ思っていたのだ。

今現在、レゾネ制作や震災、オーディエンス層の拡大、過大な、あるいは順当な、あるいは不当な評価、数々の展覧会での経験、自身の加齢・・・いろいろな理由から、僕は作品を自分の元から旅立たせること(作品自体としての自立)を現実的に考えられるようになったようだ。

もはや好むと好まざるにかかわらず、自分が作るものは、僕自身の自画像ではなく、鑑賞者本人や誰かの子どもや友達だと感じるオーディエンスのものであり、欲を言えば美術の歴史の中に残っていくものになっていくと思っている。自分の肉体が滅んでも、人類が存在する限りは残っていくものということだ。

そういう意味も込めて、もはや自画像ではなく「自分にちょっと似ている」自立したもの、かといって100%オーディエンスに委ねられるものでもない。僕の絵を見て「これは私だ!」と自己投影する話はよく聞く。それはビュジュアル的な表面にではなく、内面や重なり合うレイヤーを感じての自己投影。僕は、そういう時は、もうそれでいいと思うようになった。でも、やはり自分が作り出したという親心は残っている。それで「僕にちょっと似ている」であり「君にちょっと似ている」となったわけなのだ。そして、それらはあくまでも「僕や君にちょっと似ている」のであって、作品自体は僕やオーディエンスのように、ひとつひとつが自我を持つ「作品という名の本人」であるのだ。

けれども、スタジオで彼らを作り出していく過程においては、僕と彼らは依然として一心同体であり、オーディエンスや批評は遠くに行ってしまっている。壁に貼られたポスターの中にいるヒーローたちや、棚に並んでいる時代遅れの人形たちだけが、僕と彼らの密接なやりとりを知っている。

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