レゾネの話 1

今、レゾネという過去から2010年までの作品のリストを編集している。編集しているのは編集者だけれども、とても大変そうだ。基本的には、取扱ギャラリーや作品を持っている人から寄せられた情報の整理なのだけど、画材の種類や年代がわからないものの特定は僕の役目だ。そして時々あらわれる「これってちょっと違うんじゃない?」という絵・・・作品の真偽判定もある。画材をいちいち答えるのは面倒くさいけれど、年代特定なんかは制作当時の日常がフラッシュバックしてきたりして結構おもしろい。あっと言う間に「あの頃」に連れ戻されてしまう。けれども一旦連れ戻されてしまうと、それはそれは大変なことになる。今の自分が描いている絵に、今の自分として向かえなくなるのだ。数年前の絵だったら、わりと簡単に今の絵に復帰できるのだけども、ドイツ時代の絵になるともう大変だ。3日間くらいは心のタイムマシンを操作し続けなければならなくなる。そしていつも、その分余計に年齢が加算されてしまう気がするくらい疲労感を覚える。しかしながら、1枚の絵を描くために、日常的に過去の自分と対話したりするもするが、そういう場合はタイムマシンに乗る必要はない。その時、僕に年齢は関係なく、生まれてから今までがひとつの太いはっきりとした線上にあるのが確信できる。

けれども、そのはっきりとした線というものは、実は幸福な思い出や、多少美化された切ない記憶なのだということはわかっている。自分の軌跡を客観的に見なければいけないということは、過去に対しての幻想を破壊する行為でもあるのだけれど、たとえ自分の幻想世界が廃墟になってしまっても、まだ創造の精神があるのかどうかを見極めることでもあるのだ。たとえ、僕の世界が廃墟になっても、僕はゆっくりとだろうけれど、また初めから制作を開始するだろう・・・つうか、したい・・・でもなくて・・・しなければいけないんだ!

それが、今まで骨身を削って作ってきた、作品っていう名の子ども達への・・・・・・だ!

・・・そして、贋作(実は笑える) ↓ これを見抜けず本物として売ってしまうオークションの人は馬鹿だ!

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