2月18日

嗚呼、この懐かしい母校という場所での、あの頃の自分よりも数倍学べた気がするこの場所での、思っていたよりも居心地の良いこの場所での、滞在制作にそろそろ終止符を打たなければならない。いつまでも、居心地の良い温室にいてはいけない。充分な筋力がついたならば、外に出てサバイバルしていかなくちゃいけないのだ。

思い返せば、かつてもそうやって外に出た自分だったけれど、負け犬のようにこの懐かしく優しい場所へ逃げ帰って来たのだと思う。母校は、故郷と同じように優しい。かつて少々不真面目で、ヘラヘラしていたこの学生に対しても、母校は優しい。

その優しさに触れるのは、これが最初で最後だ。ひな鳥のような眼をして、自分を見る現役学生たちと語り合うのは、この先無いと思え。

もしもまた、先輩面して語り合いたいのならば、もっと先へ歩んでいかなくちゃいけない。あの頃のように、政府や公共の奨学金なんかの世話にならなくても、自分で道を切り開いて進んで行くのだ。今あるらしいところの地位や名声なんて、嘘っぱちの蜃気楼だ。先へ、まだ見ぬ先へ、この足で進んで行くのだ。眼の前にある自分の弱さと戦いながら進んで行くのだ。

そうだ、誰も助けちゃくれない実戦で、闘いながら人は強くなっていくのだ。

体を使って、体当たりのように塑像した半年に、その成果と心地よい疲労感に、満足してはいけない。後ろ髪引かれることなく、孤独の世界に戻り、再び自分と向かい合って、その対話を画面に定着させていかなければいけない。

それが、この自分が、この世界に生きてるってことの証明であり、遺言のようなものであるのだ。

そうなんだ。ひとりでやっていくんだ。ひとりで戦うのならば、失敗したっていいんだ。苦しみや楽しみを共有できる人々と一緒に失敗するよりも、自分一人で失敗するほうが立ち直りは早く、さらに厳しい道に進むことになるのだ。それでいいのだ。

そして、オーディエンスの期待は無視していいのだ。彼らを意識して、彼らのために作品を作ったとしても、それが彼らとわかり合えるということにはならない。自分は自分自身とわかり合わなければいけないのだ。その自分対自分の、取っ組み合いの戦い、どんな嫌な奴らの前であっても、誠実に自分を曝け出している戦い、鏡に映る自分との戦いこそが、彼らの眼を覚まさせて、彼ら自身を心の奥に歩ませるのだ。

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