去年の1月の日記を読む

1年前の自分だけど、今の自分よりもずっと良い。
悔しいくらいに、自身に向き合ってる。

戻れるとこまで戻ってから、助走をつけてスタートするんだ。
どんなに歳をとって経験積んでも、そういうことの繰り返し。
三歩進んで二歩下がり、やっと一歩の前進。

2014/01/04

こうして絵を描きながら、その合間に机の前に座って日記も書いていると、
ここがドイツ生活からの延長線上にキチンと位置しているのだということが感じられてくる。
途切れ途切れになっていた自分の足跡が、時には近道、時には遠回りしてきた自分の足跡が、繋がっていく。

ツイッターとは違って、日記にはちゃんとした土台がある気がする。
どんなに悩んでも、なんだか地に足がついていると思えるのだ。

今日が良い日なのかどうかは窓の外の話で、僕はこの四角くて白っぽい部屋で描きかけの画面と対話する。

いつまでも情けなくなるほど青っぽく、年相応に大きく構えることもできず、
小さなことで悩み苦しみ気にし過ぎて、ちっぽけなままでいる。
誰もわかっちゃくれないと、諦めながらも目に見えない誰かを信じている。

だがそれは、自分が望んでいる生き方なのだ。
あの頃の自分たちが親しみを持って憧れている生き方なのだ。
悩み苦しむことが幸せであるのだ。

喉元まで弱音が上がってくると、それをグッと飲み込むのだ。
決して吐き出すことは無いから、何度でも弱音は上がってくる。
それでも吐き出して楽になることは選択しない。

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