8月8日

グレゴリ・ペレルマンという名前を聞いたことがあるだろうか?彼は、ポアンカレ予想を解いた学者として知られている。

殆どの学者が(最も現代的な)トポロジーを使ってポアンカレ予想を解こうとしたのに対し、ペレルマンは(一昔前の近代的な)微分幾何学と物理学の手法を使って解いてみせた。そのため、解の説明を求められてアメリカの壇上に立ったペレルマンの解説を聞いた数学者達は、「まず、ポアンカレ予想を解かれた事に落胆し、それがトポロジーではなく微分幾何学を使って解かれた事に落胆し、そして、その解の解説が全く理解できない事に落胆した」という。 -Wikipediaより- (括弧内は自分)

僕の作品を、ポアンカレ予想に例えるのは大袈裟すぎるのはわかっている。けれども、わかりやすさで言うとそうなると思うのだ。現代の論法ではなく、近代の論法で自分の作品のことを語れば、あっさりと解決がつくのが、作者やサブカルチャーを離れたところでの僕の作品なのではないかと思う。それは、逆に作者やサブカルチャーで語ることもひとつの論法であるとも言えるし、事実、そのような文脈で語られてきたと思う。

科学やメディアの進歩とは反比例に、過去にある人文学的なものをこそ今に持ってこなければいけないのではないか、と僕は思っている。自分の作品が、それに値するかどうかは、どうでもいい。数十年後に、おのずと答えは出るのだし、やりたいことをやるだけだ。心の底から湧き出てくるような、どうしようもなく手が動いて叫んでしまうような、そんなものを形にするだけだ。

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