遠くの羽音 / 村瀬恭子 @豊田市美術館

むっちゃんの展覧会、めっちゃ良くて、オープニングの次の日もぐるぐる2回も廻って観ていたんだけど、けっこうラフなタッチも多い絵なのに繊細で、四角い絵の四隅すべてに神経を行き渡らしていて、色形の情報もメチャ多くて、しかもそれがすべて必然的であって、ほんとうに感動と感心と尊敬の気持ちで心がいっぱいだった。もちろん、他のオーディエンスより画家のことを深く知っているというのもあるのだろうけど、とにかく良かった。大切にしてるよね!いろんなことを投げやりにせず、丁寧に面と向き合って描いている。真夜中、あのスタジオでひとりでずっと描いているのだよね。

たとえば、僕の絵っていうのが、木々が集まった森を、塊としての森を描いているとするなら、むっちゃんは木々の奥深くに神経を浸透させて描いている。木の葉の両面、葉脈に流れる物語まで聞こえてくるようだ。少女も山々も草木も花も鳥も、森羅万象が平等なタイムラインに沿って描かれているようだ。肉食系とか草食系というカテゴライズがあるけど、そんなふうに言うなら筋肉系じゃなくて神経系かなぁ。

これからは、そんな絵が、高いクオリティを携えたそんな絵の理解が深まっていって、どうも自分のようにキャラクター的なものが画面を占領している流れってのは、下火になっていく気がする。そうすると、そんな風な絵を描いてる人の大半は、描けなくなったり消えていったりするのだろうけど、自分はと言えば、そんな風潮の始めの方にしっかり位置してるので、下手っぴでアマチュアっぽくても残っちゃうんだよな。後から出てきた作家で自分より上手い人はたくさんいるんだけどなぁ、恥ずかしいなぁ。でも、残るといっても美術史か風俗のある位置に残るということで、描き続けていてもメディアや収集の対象から外れていくかもしれん。でもまぁ、そうなっても地味~に描き続けていくことだけはきちんとわかってるんだけどさぁ。とにかく、杉戸やむっちゃんのようなPainter’s Painterの存在は、今の美術界の良心だと思う。バックを塗りつぶすこともなく、画面全体を平等に見ることが出来る眼と心を持っているよ。

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初日、むっちゃんと学芸の天野さんとのトークだったけど、話し足りなかったよな~。天野さんは、まぁ学者な人だからむっちゃんの絵を多くの画家のOne of themみたいに客観的に、っていうか批評的に語るけど、もっと個に入って語って欲しかったかな~。カタログに寄稿してた平野千枝子さんという人のテキスト、しっかり深くって読みごたえがありました。

鉛筆ばっかのドローイングはちょっと抑えて、色の綺麗さを感じられるようなドローイングになるよう、昔のように筆を使ったりして努力してみよう・・・・・・

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