2月1日

自分は、美術関係者の目に留まる前に世の中に出てしまった。

思い出すのは、30歳の頃にwaveっていう雑誌に載ってた『90年代に注目するべきアーティスト』みたいな記事。著名な評論家たちが、それぞれに90年代に有望な作家の名をあげていた。僕はそこにある名前を、遠い人たちとして見ていた。当時、ひとりのアーティスト志望の学生としては(まぁ30歳ではあったけど、ドイツの美大で学生だった)そこに書かれた名前は、会うこともないような人たちなんだっていう気がしていた。

僕の名が、90年代後半にあっと言う間に日本で広まったのは、美術専門誌の記事のせいなんかではなく、角川書店から出版された『深い深い水たまり』という画集、そして角川の月刊誌『月刊カドカワ』での特集なんかにあったはずだ。それに加えて、当時はドイツという異国に住んでいて、今のようにインターネットで時差も距離も関係なしに情報交換できる時代ではなかったこと。そういうことで、日本の美術関係者との接点がなかったのだけれど、それでいて、新しいものに敏感なファッションや流行雑誌の編集者が記事を書いてくれたことがある。『Feature』って雑誌には、篠原ともえちゃんとの交換絵日記みたいな連載も持っていたし、ROCK’IN ON社の『H』にも『ちいさな星通信』を連載していた。まぁ、美術界よりも、そっちの世界でのデビューが早かったということだ。そしてそれ故にか、日本の美術界での位置付けが決定してしまったと思う、のは自分だけなんだろうか?

今、この時点ですら、自分がコンタクトをとって会えるような評論家は松井みどりさんくらいだ・・・。もちろん、会って話してみたい評論家の方々はいるのだけれども、よくわからない自分のコンプレックスゆえに行動できないでいる。美術館の学芸員にしても、気兼ねなく連絡できる人は片手で足りる。そして、彼らときちんと美術の話をしたことがあるかと問えば、1、2度しかないのだ。そうなのだ、自分は明らかに美術関係者たちが美術を語り合う場所にはいない。

しかしながら、日本のアートシーンの中で、自分の名前がどこかにあったりするのだけれど、そこにいるという実在感が自分にはない。そりゃ、朝まで美術のことなんか語り合ってみたいとは思う。しかし、明らかに語り合う相手がいないのだ。都内のオープニングパーティにも顔を出さず、どちらかというとライブにばっかり顔を出している。美術をやってる友達が、この日本に少なすぎる!一体どうしたら、アーティスト仲間みたいな関係ができるんだろう。今、自分が絵の話をしたできるのは、かつて先生をしてた頃の元生徒数名と、大学で同時期に学んでいた小林(孝亘)や、むっちゃん(村瀬恭子)、そして村上隆さんくらいだ。

と、思ったりするが・・・最初の話に戻るけど、自分はこの国で、現状にある位置まで来るべき作家ではなかったと思うのだ。作風の親しみやすさや、それによるオーディエンスの動員力、あるいはその手の絵のパイオニアとして、この国の美術界の中では認知される気がしている。日本では、ほんとに実力以上の名声を得ている。それが、とても辛いのだ。

たとえば今、ニューヨークで発表しているギャラリーはPACEという、20世紀美術の王道を扱うようなところだ。美術学校出身の自分にしてみれば、夢のようなギャラリーで、頭を捻りながらも喜んでしまう。でも、なんかしっくりこない感じは今この瞬間にも自分に付きまとっている。

自分の作画テクニックなんて、20年前とさして変わらないし、知識だって真面目な美大生くらいのものだろう。ただただ、経験だけが厚みを増している。感性にも進歩は無い(いや、これに関してはそれでいいと思うが)、年上というだけで、才能ある後輩たちから敬語で話しかけられる辛さ。

しかし、それが音楽の世界になるとちょっと違う。僕は音楽を生業としていないから、ミュージシャンというだけで一目置いてしまうし、彼らにしても画家というだけで、自分に一目置いてくれる。そう、簡単に言えば、自分はただの音楽好きの絵描きというポジションでいたいのだと思う。そうでなければ、自分のやってきたこと、やっていることはあまりにも学術的に論ずることが難しい、つうか、専門的に論ずる意味も意義もない気がする。要は、今ではなく、数年後、数十年後、百年後、になんの先入観もなく、絵を鑑賞されて語られるかどうかなのだ。

そんなこんなで、日本の美術の世界で、自分はいわゆる日本代表にはなれないだろう(それは、とても助かるけれども)。でも外国から日本代表と言われることは、僕を苦しめない。なぜなら、僕は日本というよりは『自分』の価値観で生きていて、『日本』ということで評価されることに違和感を覚えるのだから。ということで、『日本』ということではない、海外の多様な価値観で評価されたり、人気が出ることこそが、むしろ嬉しいことなのだと思う。もちろん、海外の日本好きな人たちの中で、そういう価値観で僕の絵を好きな人たちがいることも知っている(が、それは論外だ)。クリーブランド現代美術館での個展オープニングの時に、日本の大学に留学していたというだけで、日本人の個展にやってきた、彼の名前が漢字で入ったハッピを着てきた人のように論外だ。

でも、もう時効だと思うけど、あの有名な韓国のアイドルグループからのマル秘コラボ依頼とかは、やっぱ違うし、有名デザイナーやブランドからの依頼は断って正解だと思っている。もちろん、自分の中にある何かしらの欲は、そういうオファーを受けなかったことを悔やんでいる・・・が、それを断るという自意識が勝ったのだ。自分がオファーを受けて断った、めっちゃ有名な人々を自慢したい!(ってのも、なんとか欲だよな・・・)。世の中の人々は、常に何かしら話題を提供されていないと、作家はエスタブリッシュしていないと思うものだ。しかし、今生きている作家はみんな、百年後にはこの世にいないのだ。

まぁ、とにかく、普通に絵を描いていける環境を保っている現在に感謝。音楽を通して知り合った純な人々に感謝。いつもいつも、変な欲に流されそうになる時に、一番大切なものが何であるかって、肩たたいて思い起こさせてくれる曲たちに感謝。ほんと、こんな広い場所で絵の具代なんて気にせずに絵を描けることに感謝。そんなところへ導いてくれた人生に・・・感謝はないなぁ・・・まだ現在進行形だからな。だから、感謝するのではなくお願いする!

「初心を忘れずに進みますから、この人生を、今まで歩いてきたように、これからも歩かせてください!」

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