Let's something again! anything again!

去年の今頃、来年の横浜個展のタイトルはすでに決まっていた・・・『Let’s Rock Again!』。粗く、大雑把で、力でもって絵や立体をねじ伏せていくような感じ。「Let’s Rock Again!」そう叫んで、脇目もふらずに制作に向かっていけばいいと思っていた。荒々しく、徹夜で1枚仕上げていく感じ。Rockなドローイングをがんがん描きまくって朝を迎える感じ・・・だった。

しかし、そのタイトルは3月11日の震災を境に過去のものとなってしまった。大好きなロック・ミュージック以前から在る自分の感性に、探求のAgainを求めなければならなくなった。それは思っているよりも、過去への旅路を余儀なくされ、深い深い水たまりの底へ逆行していかなければならない。そう思う理由は、言葉では上手く説明できそうにない。

なんとなく思い浮かぶ例をとれば・・・ジャズ界の巨匠チャーリー・ミンガスが死をむかえる時に、ラジオからふと流れたある曲に対して「この曲こそが、自分が目指していた音楽そのものだ」というようなことを言った話が近いかもしれない。その曲とは、確かドボルザークの弦楽四重奏だったと思うのだが、あいにく僕はまだまだ、ずっとずっとRockが好きだろう。だがしかし、音楽ではなく美術である。僕はミュージシャンではないのだ。

今、おぼろげながらも挑戦したいのは、Rockが生まれる直前の感覚、感情の高まりや鎮静、赤く燃える炎ではなく、実は赤よりも高温の青白く燃えるような炎の表現なのだろう。

それは、少なくとも頭の悪い僕には、考えたりじっと画面とにらめっこしている絵画制作ではなかなか獲得できない表現だ。体を使って取り組む大きな塑像こそが答えの在る方向へ導いてくれる気がしているのだ。

かつて、グループで小屋を作りインスタレーションを展開していく中で、失われかけていた個人としての制作を取り戻すために、この手でもって粘土を使いセラミック彫刻を制作したように、僕は今再び、新たなタイトルを獲得するために塑像に取り組み始めているのだ。まずは塑像。その後で、自然に絵画に移行できるものと思っている。僕にとって絵を描くことは、力技や理屈や気力だけでは成り立たない。勝ち負けのある戦いでもない。むしろ、それ以外のきわめて凡庸な感情が基盤になっていると思うのだ。

しかしながら、塑像制作においての基礎的な技術は踏まえることは大前提で、そこから一体、どんなふうな展開をしていくのかは自分にさっぱりもわからない。ただ心の赴くところに向かって進むだけだ。決して安易な方法は取ってはいないという確信はある。嘘の無い気持ちで制作に向かうべし!

きっと思ってることの半分も表現できず、力尽きるとは思う。創造することとは、いつだってそういうことだと思っている。でもまぁ、真っ白になるまで行ってみようじゃないか!あしたのジョーがヒーローだったじゃないか!

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