12月16日 母校での講義の後に

9月から、名古屋市郊外にある愛知県立芸術大学にやって来て滞在制作をしているのだけど、母校だけあって非常に過ごしやすく、本来の目的であった『現在の精神力を身につけたまま学生時代にタイムスリップし、そこから倍速で学生時代をやり直し2011年の今に戻って来る』という幼稚な発想を、怖いくらい具体的に実行できている。

美大に入学したての1年生のアトリエに足を踏み入れてみれば、技術的には上手いのだが、ほとんど個性の無い、どれが誰のものだかわからないようなデッサンの集団が眼に入る。眼に映るものの解釈が、基本的な造形論のようなもので表現されているのだ。この時期、個性は無いが造形的な価値観が共通しているので、共同で作品を作ったりしても面白いと思うし、わりと簡単にそれが出来る気もする。しかし、学生の人間的な成長と共に、それぞれの作風らしきものを追求し始め、卒業する頃には多種多様な作品がアトリエの中に現れる。その中には、依然として自分探しを続けていたり、入学当初の技術的なものから脱却すらしていない者もいるし、原石が研がれて輝き始めている者もいたりと、もはやひとつの価値観を共有することは出来なくなっている。その多様な価値観の表出こそが、表現と言う行為を観る醍醐味なのだろうし、同じく多様な批評や評論を生んでくれるのだろう。

・・・学生と同じ空間で制作していると、自分の知識や経験から得たものを、時々めっちゃおしえたくなってしまうんだよなぁ。僕がもし生徒を持つようなことがあれば、自分の本棚全ての書物を与え、毎日のようにディスカッションして、過保護な教育をしてしまいそうだ。やっぱ、止めとこう。『明日のために その1』だけでいいのだろう、まずは。それをやり続けた者だけが、その2にたどり着くのだ。

今日は「学生のために」と称した講義をした。画像を見せて語るよりも、自分の経験から得た言葉で語ったつもりだけど、どれだけ伝わったのかはわからない。けれども、わかる者だけがわかる、でもいいと思っている。あるいは、真面目に誤解してわかってしまうのでもいい。要は、他の美術一本ではない人々には理解しづらい、人生を賭けるような切実さが伝わったらそれでいい。

傍から見た僕は、成功しているふうな作家のひとりかもしれない。才能あふれて制作しまくる作家に映るかもしれない。しかし、僕自身はいたって普通の人間であることは、接した学生ならみんなわかることだろう。もし、僕が作家という位置に立脚しているふうに映るのならば、それは「切実さ」に他ならないのではないかと思う。「切実さ」の意味は、問われても答えられない。答えられないからこそ、その「切実さ」のために、言葉で答えるのではなく手を動かし制作しているのだ。それは、食うためではないことだけは確かだし、楽しむためでもないことも確かだ。なんとなくではあるが、生きていることを実感するために、今この世に、この時代に自分がいることを、自分自身で確かめるために・・・確かめるために、色々と手を尽くし、その答えを生きているうちに手にしたい、命が果てるまでには必ず手にしたい、というような行動可能な残り時間に対する切実さというのが一番近い気がする。

多分、パンクロックに出会った時に共感したものも、明日がどうなるかわからない中で今を歌うような切実さにあったのだと思う。

あの頃が良かった、あの頃の作品が良かった、というオーディエンスはいる。しかし、そんな人に、そんな作品を見せ続ければ、きっと飽きてしまうだろう。その人の成長と共に感じ方は変わるし、作家自身も変わっていくのだ。ダメな時があり、復活する時があり、その繰り返しだ。常に自分自身が、誰の眼も気にしない勇気あるオーディエンスであるべし。

かつて、とある学芸員がシャガールの絵の素晴らしさを説くので、自分もいつかそんなふうな作品を描くのだ!と言ったら、「シャガールは越えられないよ」と即答されたことがあった。今まだ生きている40そこそこの画家に、すでに他界してしまった画家を優位に置く言動に失望したのを思い出した。確かに、理性的になれば、僕は自分でもはっきりと、ああいう画家を越えられるとか、そんなことは微塵も考えたことはない。そもそも比べるという発想がないのだ。ただ、その失望は「越えられないよ」の言葉が、この先、僕がさらに生きて絵を描いていくこと自体がその人にとっては物故作家のシャガールの絵に比べると、越えられないという、自分のこれからの創作活動に対する否定の烙印に感じたのだ。それは正に、その人にとって、まだ生きている自分の存在価値が、物故作家より無いということだった。

そんなことも、どうでも良くなった。人は人を信じすぎると失望が待っている、ということだ。今はプライドや知識や分析のない付き合いをしていける人々と、肯定も否定も意見し合い語り合うことの素晴らしさを実感しながら生きている。

母校の学生たちには、かつての自分がそうだったような顔をしていた。みんなに、伝えたいことはもっともっとあった。それは、3時間そこらじゃ無理なのはわかっている。言いたかったことの少しでも、なんては思わない。ただ、制作していくことに対する言葉に出来ないような「切実さ」だけが伝わってくれていたなら、と願っている。

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