2014年 10月23日

人より先に、時代の空気に求められていたと思える90年代。
自分の絵はまさしくタイムリーだった。
そして、人に求められるようになり、
流行のような波に乗って、数年前に落ち着いた。

忘れられていくとは思わないが、定着したとも思えない。
定着したのは自分という作家ではなく、表面的な自分の絵のイメージだ。
そして、そこから生まれた後追い達の描くイメージだ。

どうしても悲観的に考えてしまうけれども、
周りのことは、楽観的に考えるよりはいい。

さて、自分はどこへ向かっていくのだろう。

自分の作品たちは、鑑賞者とちゃんと通じあっているんだろうか。

何かを求める人たちは、実にいろんなものを求めて生きていて、
自分の絵は、一時的に求められるものでありたくはないし、
普遍的なものでありたいのだけれども・・・

そんなことを考えることは、自分の眼を曇らすだけだ。
俺は、人を相手にしているんじゃなくて、
自分自身を相手にしているんじゃなかったのか?

鑑賞者に依存するような自分になっちゃおしまいだ。
そんな気持ちを持ったら、それは自意識過剰野郎だ。
いつかこの世から消える自分、を見せるんじゃなくて、
自分が消えても残っていくものを作りあげなきゃ!

ただただ、描きたいものを、描きたいふうに描く。
ただの作業にならないように気をつけて、
技術で描こうとせず、描きたい気持ちで描くべし!

今まで自分の心に響いてきた画家たちのように!
テレビの画面やメディアの中は架空の世界だ。
目の前にあるものや、鏡に映る自分と会話して、
そこから形を作っていくべきじゃないか、自分!

そんなこと、ずっと前からわかってる・・・

時間の進み方が早くなっていってる。
そして、絵は・・・全然うまくいってくれない。

世の中はどんどん変わっていってる。
自分はそんな流れに逆行してる気がする。

つうか、逆行したいんだ。
・・・と言ってしまうのは、ちょっと安直過ぎる。

なんだろうか・・・過去をもっと引っ張りたい。
もっと記憶の深く、感情を再び確かめたい。
記憶の中にある、映像や心の流れ。

反芻したいんだ。

記憶にはそれだけの価値があるんだ。
そして、自分はまだまだ顧みれていないんだ。

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