道産子フレンズ

赤坂Blitzだったと思う。

その頃の自分はROCK’IN ON社の雑誌に連載を持っていて、担当の齋藤奈緒子さんは偶然にも高校の後輩だった。当時自分はドイツに住んでいたのだけれど、一時帰国した時にはROCK好きの彼女と一緒にライブに出かけたりしていた。その日も、お互いに好きなバンド、eastern youthのライブに出かけてたんだろうか?それとも、ミッシェルガンエレファントだったんだろうか?

そのライブ自体は思い出せないんだけど、とにかくライブが終わった後にイースタンの吉野くんに紹介された。そして、それが始まりだった。その時の彼の言葉が嬉しすぎて僕は決して忘れない。「いつか会うと思ってた」

2000年に日本へ帰国してからの僕は中央線沿いの吉野くんの部屋におじゃましたし、吉野くんは福生の米軍基地近くにあるボロっちい僕のスタジオにも訪ねてきてくれた。ずいぶんと彼の音には助けられてきたと僕は思っていて、そんな人と直接知り合いになれたことが信じられなかった。

そして、吉野くんからブッチャーズの吉村くんへ繋がっていったんだ。

当たり前だけれども、ブッチャーズの音にも助けられたし、YOYO-A-GOGOに彼らの名前を見つけて嬉しかったのも思い出した。新宿リキッドでのブッチャーズのソロライブは2001年10月20日。下北沢でのナンバーガールとのジョイント以来のブッチャーズで、もちろん最高の演奏だったし、ライブ後の楽屋でスカイパーフェクトTVの音楽番組からコメントを求められて絶賛したのを覚えてる。その時、吉村くんは鞄の中から僕のドローイング集『NOBODY KNOWS』を取りだして、僕は適当なページにサインをしてメンバーの似顔絵を描いた。その場には、54-71や怒髪天のみんなもいたのだけど、話してはいない。

その4年後の2005年、僕はブッチャーズのニューアルバム『Banging the Drum』のために絵を描いた。そして翌年の2006年には、実家のある青森県弘前市で開催したA to Z展のオープンに合わせてライブをやってもらったのだった。その後もアルバム『ギタリストを殺さないで』のジャケに絵を提供したりして、吉村くんとの付き合いは続いていく。

さて、僕が怒髪天の増子直純という人と直接繋がるのには、それから5年後の2011年まで待たなければならなかった。つうか、怒髪天の音に出会ったのも吉野くんがきっかけだったな。『極東最前線』(2000年)。サムライブルーは素晴らしい楽曲で、たちまち虜になってしまったのだ。その後イベントでDJまがいのことをやる時には定番の一曲になった。

2011年、その年の3月11日を日本に住む人なら決して忘れはしないだろう。東日本大震災。その年、例年ならば春に開催するARABAKI ROCK FESは中止になり、しかしながら秋に開催された。そこに僕はチャリティグッズの制作で参加したのだけど、最終日の最終ステージで壇上に呼び出され紹介された。その時にステージ袖で「この人は、アナーキーな人なんだよ~」と、酔っぱらった増子さんが言ってるのが聞こえていた。

その後、吉村くんが僕のメールアドレスを増子さんにおしえて以来、増子さんとの男同士の変なメル友関係が出来上がっていって、今日に至ってるのだ。ほんと、吉野&吉村、両道産子のおかげで知り合ったと言っても過言どころか、実際そうなのだ。ということで、やっと主題である、怒髪天武道館公演2014『ほんと、どうもね』を語ろうと思ったけれど・・・・・

・・・・・すまんけれども、今、ここで語るのはやめておく。もっと時間が必要だ。

武道館公演の内容自体は、たくさんの人たちが語ってくれていると思うし、DVDも発売が決まっている。

僕自身のことを続けて言わせてもらえば、名古屋栄の裏通りにあったギャラリーでの初個展から今年は30年目なのだ。すれ違うことができないような細い階段を上った6畳ほどのスペース。あれから30年だよ。あのちっぽけな個展から、専門誌でのレビューなんて夢のまた夢だったあの頃の自分から30年なんだ。怒髪天デビュー30周年のこの年に、自分を重ね合わせてしまうのだ。

そして、サムライブルーが極東最前線に収録された2000年は、翌年開催予定の日本の美術館での初個展のためにドイツを離れて日本に戻った年だった。自分にとって、日本でのメジャーデビューの年だったのだ・・・

そんなこんなで、自分は勝手に怒髪天と同じ時間軸で、それぞれの道を並行して歩いてきてると思ってる。

まぁ~ほんとに武道館公演に関しては何も言うことがないのだ。
もしかしたら夢ではなかっただろうか?と思うほどなのだ。
それは現在の自分の状況に対しても同じなのだ。
これは夢ではないのか?夢をみているのではないだろうか?

けれども、あのちっぽけな個展は夢ではなかった。
バイトしながら絵を描いていたあの頃は本物だった。
今のような、思うことをすぐに実行に移せるような状況にまだリアリティは持てない。
人生はまだまだ続いていくし、前に進むことで、今の夢のような状況をやっと本物の過去にすることができるのだ。

体がキツイので無理に走ることはしないだろうけれど、休むことなく歩き続けていくべし!

KEEP WALKING!  (ここで曲、流れますw)

PS.冒頭の赤坂Blitzは、2003年6月5日で、eastern youthのライブだったです。 2014.1.22追記。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?