版画の話

木版画・・・小学生の頃、冬になった時の図工の定番。彫刻刀で木を彫り込む感触を、あの優しい抵抗感を僕の手はまだ覚えている。当時の木版画を振り返ると、僕の中では彫ることと摺ることに重点が置かれていた。今、ニューヨークの版画工房で制作された木版画を眺めていると、昔の自分が考えもしなかった原画というものの大事さと、それを損なうことなくエディションとして成り立たせるための彫りと摺りのテクニックが、自分以外の人の手で行われるという必然性を感じる。

数年前、銅版画と石版画を制作したことがあったのだけど、摺り以外の版を作る作業は自分が行っていた。自分の手が入った時点でそれはユニーク作品になるという感覚から抜け出せず、摺るのは1枚ではいいのではないか?あるいは、こうして版を作っている時間があったら一体何枚のドローイングが描けるのだろうか?というような問いばかりが浮かんでいた。そして、完成したものを見ていると、表面に物質的な魅力がある銅版画はエディションの意義があると思えたが、石版画は自分には向いていないと実感して、絵やドローイングというオリジナルが持っている強さをばかりを再認識することになった。

そんな時に木版画制作の話があり・・・というか、実は10年以上前から、その工房の人から木版画の話はあった。けれども、絵やドローイングを描くことがとてもうまくいっていた時期だったので、あえてエディションを作ることの重要性を感じていなくて断ったのだった。その時から10年以上の歳月の中で、僕は銅版画や石版画に挑戦してみたりしたが、やはり版画の魅力、エディションの魅力がよくわからないままだった。そして、2年ほど前のニューヨークで再び木版画の話に再会したのだった。あれだけ違和感を感じていた版画という表現ではあったけれど、彫りと摺りを職人がするということに興味を覚えた。共同作業というよりも信頼作業。明らかに自分の手から離れて作られていくことに対しては、まったくもってAll or Nothingで、結果ダメなら全部没でもいいと思って始めたのだった。

実際に制作に入ってみると、あたりまえだけれども僕自身が摺ることはもちろん、彫ることもなく作業は進んでいき、それはまるで江戸時代のようで、広重や北斎の原画を元に版元の職人が制作しているかんじだった。事実、木版の彫りや、数枚の版を重ねて原画のような色を和紙に定着するテクニックは浮世絵版画と同じであった。共同作業で感じる一体感や連帯感はそこにはなかったが、なにかしらもっと厳しい世界に感じられた。

うまくは説明できないけれど、たとえばコシヒカリやササニシキというとても美味しい米の品種がある。ブルーマウンテンなどの高級コーヒーでもいい。要は米の炊き方、コーヒーの淹れ方に似ている。原画をどのようにして炊いたり、淹れたりするかということに似ている気がした。素材の持ち味をどれだけ引き出せるかということ。そのような技術を持ち、こだわっている人はみな厳しい。素材を提供する側も厳しくならざるを得ないし、それを食べるだけの人さえも厳しかったりする。

そういうふうに感じながら進んでいった木版画制作なのだけれども、日本の木版画技法に熟知し、欧米の作家たちの木版画作品も数多く手がけてきた柴田さんが彫りと摺りをやってくれた。もともと10程前に木版画制作の話をしてくれたのも彼で、このプロジェクトは実に長い期間があって実現したことになる。柴田さんは日本の大学で木版画を学び、卒業後はアメリカに移住して今回の版画制作でお世話になったPACE PRINTでずっと仕事をしている専門家だ。チェックのために訪れた工房で、彼の娘さんが原画を真似て描いたものがたたくさん壁に貼られていたのを見た時、この制作は絶対にうまくいくと思った。

そもそもエディションは、作品が自分の手から離れていくことを前提にしていると思うのだが、今回の木版画制作が今のこの時期の自分で良かったとも思っている。一昔前の、まだ作品に対してしっかりとした親心も持てず、描けば描きっぱなしだった頃の絵であれば、人にゆだねて版画を作ることも無理だったろうし、良いものが出来るわけはなかっただろう。

何回目かの工房を訪れた時、柴田さんは自家用車で僕を送ってくれながらこんなことを言った。彼は自分から作家に対して版画制作のお願いをすることはないらしく、あの10年ほど前にどうして僕に対して木版画制作の話を口にしたのか自分でも驚いたのだと。その時、フロントガラスの前に広がるニューヨークの街並みが、急にフレンドリーに見えてきて、僕はなんだか優しい気持ちになり、木版画がまだ完成してもいないのに、すでに版画展がうまくいったような気分になってしまった。

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