8月19日

むかぁ~し、むかし・・・って、何年前だろう?僕のポンコツな記憶が正しければ1994年だったはずだ。その頃、僕はドイツに住んでいて、個展の準備のために一時帰国していた。森北のとこで大きな犬の彫刻を作ってた。森北はもちろん必然的に、杉戸やなんかも手伝いに来てくれてて、それは大きな犬を作ってた。基本的に発泡スチロールで作って、それを化学合成樹脂で固めるのだけど、そんな技術、実は、僕ら自身でやるのは初めてだったんだ。

まぁ僕ら、そんな初心者ではあったけど、やっぱり美大生だけあってちゃ~んと制作して完成させた・・・のは、いいんだけど、その犬は扉から出ない大きさになっていたのだった。その時まで誰も気づかなかったんだよ~嗚呼!

で、結局、犬を半分に切って外へ出し、個展会場へ運んだのだけど、そこで自分は反省したことを思い出す。それは、運ぶためにちゃんと分割することを考えて作るべし!ということ。それがプロってもんだろう!って、その時は、自分も森北も杉戸も、みんな思ったさ、もっとがんばんなきゃ~って・・・俺たち、まだまだプロじゃないんだなぁ~って。

それから、行く年月か・・・森北も杉戸も大学で教える身分になり、僕も日本は元より、いろんな国で展覧会をするようになった。そして、個人的にあの頃を回想して思う・・・

そっから作品を出せるかとか、考えて作んないほうが自由。思うように作ればいいじゃないか!プロじゃなくて構わない。その場で精一杯の感情にまかせて制作したらいい!自由に、思うままに作るのがアーティストだ。職人さんのように現実に対しては、四角く真面目ではないけれど、発想にかけては妥協しないで、何も考えずに突き進む!あとは野となれ山となれ!その作品が素晴らしいのなら、壁を壊しても、出したらいいんだ。

あの頃から、どんどん大人になってしまった自分だけれど、大人になることで全て肯定されるべきじゃない。そんな、みんなしっかりとした立派な大人になってしまったら・・・自由奔放な少年少女が学ぶべき大人がいなくなっちゃうじゃないか!

それで僕はあの・・・後先考えないで仲間と突き進んでしまう、あの頃の自分を思い出し、今再び自分に渇を入れるんだ。

しっかりとした、みんなで何かするっていうような教科書みたいな、社会の手本みたいな大人にはならない。ひとりひとりこそがしっかりとして、自分自身の生きる道を歩けるような個人主義の大人になるんだ。それが、ほんとの意味で繋がりあえるってことでもあるはずだ。

また再び、そこから出せないような大きな犬を作ってみたいなぁ~。森北も杉戸も、なにも変わっちゃいない。んで、俺だって、あの時のままなんだ・・・

あ・・・んで、そのおっきな犬はと言えば・・・嘘みたいだけど、今はサン・フランシスコの近代美術館にいるのであった・・・なんか、スゴクない?

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