櫃田せんせい

1981年、僕は名古屋郊外の長久手町にある愛知県立芸術大学に進学した。そこで出会ったのが櫃田せんせいだ。せんせいは美術の話以外にサブカルチャーにも詳しく、映画や演劇、マンガや絵本の話もよくしてくれた。しかし、実のところ僕はせんせいに一度も受け持ってもらったことがない。せんせいの話のほとんどは、よくお邪魔したせんせいの官舎か、誘われて連れていってもらった喫茶店で聴いた。なんかエコ贔屓っぽい感じがするけど、その頃の僕はあんまり学校で制作するわけでもなく、いつも下宿で落書きのような絵ばっかり描いていて、優等生とは程遠い学生の僕を気にかけてくれるのは不思議だったのだけれど、もちろんうれしかった。担任してくれた先生方からよりも、櫃田せんせいからおそわったことが僕の学んだ大学教育のほとんどな気がする。それゆえ、僕は櫃田せんせいの教え子と呼ばれているのだけれど、せんせいは科を越えて、日本画科の杉戸や彫刻科の森北にも親切に指導してくれた不思議なせんせいなのだ。『先生』というよりも、やっぱ『せんせい』なのだ。

さて、せんせいが損保ジャパンの東郷青児美術館で回顧展をしていたので観に行ってきたのだけれど、何か不思議な感覚と共に鑑賞した。展示してあるほとんどの絵は、僕がせんせいのアトリエで眼にしていたものだからだろう。1988年からドイツに住み始めた僕は、一時帰国の際はほとんどせんせいの官舎に居候していた。それはせんせいが家を建ててからも続くのだけど、その家には通称『奈良の部屋』という3畳間まである。とにかく、自然にせんせいの制作現場に接する機会が多かったのだ。アトリエから2階の居間に続く階段の昇り降りの時に見える絵が、進行していく様子や、机の上に散乱している資料やスケッチの数々。パレットの上にチューブから捻り出されたばかりのフレッシュな絵の具。ペインティングオイルの匂い。そんな記憶がフラッシュバックしていた。

混色をしたベースに線描、もやっとした中間色の絵肌にマスキングをしたように部分的に原色の透明色を置く。四方の角あたりの構図や絵の具操作に変化をつけて、単調にならないようにする。鑑賞していると視覚と触覚が交互に機能する楽しさ。平面の中に段々に存在する壁や、斜引きされた線が作り出す歪んだ遠近法。冷静な描写と色面に横やりをさすような感情的なストローク。

あまりにも知りすぎているはずの画面なのに、じっと鑑賞を楽しんでいる自分がいる。たとえば、ジョットの絵でもそうなのだけれど、モチーフや物語や逸話などのいろんな感情が交差した後にやってくる、冷静な絵画鑑賞の悦楽とでもいうのだろうか。絵画を勉強しなければ・・・あるいは、せんせいの作画をまじかで観ていなければ、こうした鑑賞は出来なかったかもしれないと思う。絵画の組み立て方でいえば、せんせいと杉戸は非常に似ている気がする。そして僕は、リラックスしてくると靴下を半脱ぎするところが似ている。

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