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誰も知らないアーティスト展 覚え書き

※すべて敬称略です
※作家の方・関係者の方で掲載不可の写真があれば対応します

01
■レイモンド・ホラチェック
建物の2階部分に当たる廊下に抽象的な絵が描かれている 何なのかはわからない

ところどころに小さな矢印が書いてあって、それになんか心臓がぎゅーってなった
向かい合った矢印がひとつの部分を指しているのがよかった でも意味とかはまったくわからない

02
■ジョール・ソンクヤ
すごくよかった!
手書きの英語、がんばらないと読めないからあんまり読んでない、流し読み

映像作品のオレンジ色の海は、色味をいじっているのか気になった(さすがに夕日だけであんなにオレンジ色にならないよねえ?)
川や海、そこで人や荷物が交わってきた営み たくさんの人

ちいさな作品をいくつも集めて大きなひとつのインスタレーションになっている(?)のもすきだな 物事に対して誠実でありたいと思うとこういう形になると私は思うから


03
■瀧健太郎
観られなかったー
コロナ禍でマスクをしながら歌う黄金町の地域の合唱団の人の映像、だったはず


04
■瀧健太郎
これもすきだった!
いろいろ展示されてたけど、実際にプレートを取り付けるところをたんたんと映してる映像作品がいちばんすきだった

かっこいくて、じゃーん!!という感じの展示作品も、実際はヘルメット被ってひとりで脚立抱えながらチャリ乗って、ヘッドランプつけて、地図見て印つけて…という圧倒的な地味な作業がある、ということのよさ(映像にはなかったけど、あのプレートをつくったりそれに紐をつけたりも当然自分でしているのだろう)
警察が来る一連のくだりもおもしろすぎる

見る/見られる、監視する/監視されるという緊張感のあるテーマながらも私には遊び心が感じられてそれがよかった

この作品を観たあとにふと街の/あるいは家の近所の監視カメラにあのプレートがついてたら、わくわくするし、こわい、でもわくわくする!
これを観て感化された人が各々であのプレートを任意の監視カメラにつけたらいいと思う

そういう世界に対するやり方がすきだ〜
そういえば撮影禁止だった
なんで!!?


05
■ラルフ・C・ルムブレス、ネス・ロケ&スティーブ・フロスト
空間 靴が脱げる
そして、なにかが敷かれた地べたに座れる ざぶとんとかもある

靴が脱げて、地べたに座れるということはほんとうによいことだと思う ほかの国やアジア諸国で日本みたいに靴を脱いだり室内の床に座るところはあるのかな
それだけでぎゅっと心も身体もほどける気がするし、ひととの距離も縮まる気がする

絵が描けるので描いてきた 🌿

チケットを買っているのか不明な街の人(たぶん買ってない笑)がガラス戸越しに外から映像作品を観てなにやら話していた(日本語でなかったので内容はわからなかったが)のがよかった


06
■ウ・ジャジュン
壁に貼られたたくさんの楽譜と、フルートを演奏する人の映像
楽譜がすごい わからない これがフルートのちゃんとした楽譜なのか、へんこてりんな楽譜なのかすらわからない でもたぶんへんこてりんだと思う

ぜんぶ楽譜

■ジョール・ソンクヤ
(02)の人の作品
テーマはおなじだと思う
絵が中心
どれもよいけれど、パステル画の雰囲気がすきかもしれない

■松山隼
よかった、、
おれは川がすきなので、、
そして聞き書きがすきなので、、

黄金町周辺はかつて捺染工場やその会社が100軒以上集まる街で、線路のすぐそばを流れる大岡川はその染色の色に染まっていた――

という歴史を踏まえて、大岡川の歴史について、生態系や近くに住む人々の暮らしも含めて街の人たちに話を聞いて、その内容を挿絵とテキストにし、横浜スカーフの工場に依頼して、スカーフとして作品に立ち上げるということそのものが、もう、なんてすてきなんだろう

街の人の声が(それも歴史的事実というよりはほとんど個人的な記憶のようなもの)、細い線で書かれた絵と小さな文字になって、風にゆれるのがすてきだ

すごくよかった
さいきんずっと日記みたいな服が着たいって言ってるんだけど、かなり好きな布だ〜と思った
大岡川と街の人々のことを首に巻けるなんてうれしいね

■キム・ガウン
うさぎとくまの旅の絵
塗らないことで浮かび上がる文字がやさしくて

絵の中にいろんなモチーフが隠れている作品もあって、たまたま居合わせた親御さんに連れられたちびっこふたりが楽しそうに観ていたのがすごくよかった〜


07
■レガ・アユンディア・プトゥリ
未来の進化したカラスの博物館 コンセプトがおもしろい 鳴き声は思ったよりふつう(もっと機械的な感じになるのかなと思った) 遠くまでいける感じがすきだった


08
■寺島大介
私がギャラリーに入るタイミングで中から出てきた人に「ちょっとこわいよ!」と言われて戸惑ってたら「建物が!」って続いて、ギーギー音のするドアとなんだか薄暗い部屋に合点 作品は抽象的な絵画掲示板のほう(16)を時間がなくて観られなかったので、そちらも併せて観たかったな〜


09
■安村卓士
おもちゃ!
ギャラリーに入ってすぐに端材でつくられたちっこい家がいくつもあって、なかにミニチュアの恐竜とかがいることに気づいてからはすべての家を覗き込み家主の存在を確認(まんまと…こんなの子どもも大人も楽しすぎる)

おもちゃはぜんぶ自由にあそんでOKだった
いちばん左 激ムズ
🎡🎢🎠
影 かわいい

カプセルトイのおもちゃ、いろんなことばが書かれた木を吊り下げていくおもちゃ、赤・青・黄の玉を転がすおもちゃ(何種類もあった、あの一切道がないやつは果たしてクリア可能なのか…?)、ふたりで対戦できるやつ、台所の銀色のでできた遊園地のようなもの、スケルトンの作品、柱にこっそりいたロボット

台所の銀色遊園地の向かいに、わりと高めの位置に端材の家があって、背伸びしても家主を確認できず、、くやしい、、ぜったいいてほしい🦕

スケルトンの作品はよく観ると、これはあれかもーみたいなもので構成されていた、気がした(コンビニのデザートスプーンのようなものとか) 影もきれい 日中に外から観るのもきれいだった

そして、まちをつくれるおもちゃが最高だった ほしい むしろこのおもちゃをつくりたい みんなのつくったまちも見たいし…こんなの無限にあそべる!

自分はあらゆる本のなかで児童書や絵本がいちばんすきだと思っているけれど(遠くにいけるから)、おもちゃも、頭や身体がぐにゃぐにゃになれていいな〜と思った

関係ないけど最近昼休みに公園の遊具でひとりで本気で遊んでる ぐにゃぐにゃになりたいなあ!

こっそりおる
高い位置にあって家主が確認できない!
まちをつくれる!!


■美塩・持田・ジャック
抽象度が高め? 説明文を読んでも、なるほど、これがこうで、、わかるー!という感じではない
なんとなくおどろおどろしい感じはする とくに立体作品


10
5階
■サラ・リン
興味深かった
裸体 性的に見える女のからだ 骸骨 肉体 肉体、というときはやっぱり骨というよりもその上の肉って感じがする

骨に性差ってあるのかなあ
骨に性的興奮をする人もいるのだろうか
性的なにんげんのからだも、レントゲン写真になったらきっとぜんぜんエロくない 魂のことを考える 魂は肉とも骨とも別個にあるのだろうか 骨は死という感じがする
肉は腐敗するけれど骨は腐らないのかなあ

神社みたいな展示もあった
性欲とか性行為って宗教のなかでどう扱われているんだろうとおもった


■鈴木史
(順番的にいえば、(11)のほうから観た)
うつくしかった

風になびく向かい合ったイメージ たとえほんとうはおなじ空間で向かい合っていなくてもあちらからもまなざされていたらいいなあ そしてその目がきびしくもやさしいものであったらいいな 映画のカットバックみたいにも見える あるいは観客とスクリーンのむこう側(どちらが観客にもなりえる)
などとかってなことをいろいろ考えた もちろん作家の意図するところはわからないからぜんぶ空想(?)だけど だからぜんぜんちがうのかも

扇風機(めっちゃ扇風機、でも映画の現場もああだったのかも)
電話のベルの音
他人の記憶

すごく断片的なもので構成されているのに作品とわたしたちが歩いていいと思われる場所の境界線がなさすぎてしんぱいになる、けどそれがすごいとおもった、床だし(考えてみれば《女のゴミ》もめっちゃ床だ)

ヘルツォークの『氷上旅日記 ミュンヘン-パリを歩いて』は、このあいだ「エルマーのぼうけん」展を観たときに、展示のなかで冒険にまつわる本のひとつとして紹介されていて、「ヘルツォークだー!読んでみたい!」と思っていた本だったからびっくりした

映画についてかたる男(に思われる声)と、それを聞く女(に思われる声)、方言ではなすこと、路上・ゴミ捨て場(ここは音声なかった気がする)

■宮地祥平
ロッカーのやつ、映画っぽい〜〜〜〜〜って思った、わーってなった、おれはああいう映画がすきだから、、
でもほんとうは、そういう映画が写真っぽいのかもしれない(?)

壁に貼られたたくさんの性的な肉体
きもい性欲ときもい性的行為がありすぎるから、性欲のことも性的行為のことも、じぶんや他人の肉体のこともふつうにきもいと思っているが、ここに写っていたものは圧倒的に肉塊って感じがしてよかった

性行為で脚や腕や肢体が絡み合うのと、それぞれの五本の指(あわせて十本)が絡み合うのって、こうしてアップでモノクロで撮ったらほぼ見分けがつかないくらいだなーと思えて、それがなんかよかった 指を絡ませること

にんげんのからだのことを肯定するの、ぜんぜんむりそうだけど(たとえ性的でなくても、けっこうきもいなーと思ってしまう)、ちょっと救われたかもしれないかもしれない、かもしれない

性行為と指を絡ませること


6階
■ユ・ミンジン
にんげんが寝てるやつ職場のデスクみたいなので観る 寝ながら観れたらよかったな


■レガ・アユンディア・プトゥリ
カラスの博物館(07)の人
冷蔵庫のなかにカラスのポストカード


■近あづき
布など 天井から青い糸がたくさんぶらさがっている


■宮内由梨
展示の説明がむずかしいから写真をたくさんのせる

土壁 近づいてみるときらきらしてる

すごくすきだった〜〜〜
最初は、ほう〜くらいだったけど観ていくうちにどんどんすきになっていった おもしろい すごくおもしろい!!

でも背中の四線譜の楽譜は思ったよりもなんというか痛々しいというか、かゆさとか、アトピーなどのつらさみたいなのが感じられた それを土壁に転記するのもよく考えたらとてもおもしろい(あべこべな感じがして)

ずっと身体のことを考えていて、現代アートの領域でこんなふうに身体のことをやってくれるんだな〜とうれしくなった、答えではないけれど、向こう側から変化球のふしぎなボールをなげてもらった気持ち


11
■キム・ジヒ
すきだった
黄金町に住む人に衣服の寄付を募って、その持ち主に、服や自身についてのかんたんなアンケートに答えてもらい、服の持ち主の個人史を推測して、それぞれが寄付した服をつかってその人のポートレートをつくるというもの

でも、断片やその人の一部分から個人を決定する危うさみたいなのも感じたかもしれない あくまで作品は作品で、持ち主とは切り離して考えられるべきなのかもしれないけど こういう人(あるいは“○○人”のようなもの)=こう、みたいな固定観念の再生産というか

衣服のポートレートとはべつに、切り抜きで構成された作品もあった

■鈴木史
壁に映写されたテキストがすごいすごいすごいよかった
ほんとうに

《祈ることは思考すること》
音声が録られた地点から、作品のタイトル(をつけた地点からの世界へのまなざし)のつよさまで、作者は移動していったのだ、ということが作品に内包されているように私には思えて、その移動のことをすごく考えた


【※ここから先は作品とぜんぜん関係ない、超じぶんの話 ひとの作品で自分語りをしてごめん…

彼女のツイッターのいいね欄に、私にとっては壁に映写されたテキストに呼応しているように読めるだれかのツイートがあって(もちろん作品のテキストほうが先行して書かれたものだとおもうが)、私はじぶんの人生のことで、そのツイートにすごい救われていて

たとえばいろいろな、だれにも言えない/だれかに話すことがカミングアウトにあたるおのれの属性が、じぶんが何者かを語るときにいちばん先に出てくることばじゃなくてよくて それをじぶんのいちばんのアイデンティティにしなくてよくて
もっとほかのことでわたしはわたしのことを語れるということ たとえばなにがすきかとかで、わたしはわたしのことを語ることができるということ

あるいは、その属性がなかった/もしくはまだ明瞭でなかったじぶんといまのじぶんはまぎれもなく地続きに存在していて、わたしをわたしたらしめる根っこのようなものはほんとうは/案外なにも変わっていないのだということ

そして、わたしはむかしのじぶんにいつでも会いに行けるということ

に、きゅうに気づけて
(でも同時にそのテキストのような側面もあって)

あるいはそのことを名乗ったじぶんを、他者は受け入れてくれるのだろうか、とか(名乗らない限り“ほんとうのじぶん”として他者と交われていない気がどうしてもしてしまう、とか)
ずいぶん遠いところまで、ひとりきりできてしまったな、とか

彼女の属性とわたしの属性はちがうから、そしてちがうにんげんだから、おなじものを抱えているわけではないのだけれど

それから、そのほかのたくさんのいろんなことをかんがえた】

みれてよかった

おのれのこと、おのれのパーソナルなことを世の中に提示するってすごいな
そしてうつくしいな、とおもう

にんげんの個人的なこと、なるべくささいであることについて、ずっと知りたくて、ひとの家のごみが観られてうれしかった(?)といま振り返るとおもった

展示の帰りに乗った電車のホームでかわいい男性(にみえる若者)がグミをたべてたよ


■金子未弥

いちばんすき この世のすべてのなかでもかなり上位にはいるくらいすき

でんわした(!!!!!)
だれにもはなしていない、すきなひとと行った場所のはなしをした
なんとなくうれしかった、こういうかたちでだれかにはなせたことが

実際の制作場所は高架下(屋外)で、電話番号が書かれた部屋からは離れているから、部屋から制作風景はわからなくて、作家は電話をかけてきた人のことを声と話されたことしかわからない

電話をかけた人も電話しながらリアルタイムで作品を見れるわけではないから、あとから地図を見ても、じぶんが話した場所が地図のどこに描かれているのかはっきりとはわからなくて、それもなんだかすごくみそだと思った

そして、わたしの記憶の場所と、だれかの記憶の場所がひとつの地図に描かれている(混ざり合っている)ことのふしぎさ

こんなすてきなことを考えて実践してるひとがいること、作品があること、作品の一部に交われたことぜんぶがうれしかった
(こんなことを言うのはほんとうにおこがましいが、わたしがいまべつのやり方でやろうと思っていることにとても近い気がして、うれしかった)

まちとか、人の記憶とか、地図のことをずっとずっとすきだったから、うれしい 

みんなの記憶の場所の地図 人類が滅びたあとに宇宙人に見つけてほしいね、それで頭をなやませてほしい👽
わたしのなかでベストワンでした

展示のタイトルと、小部屋の案内板(字体とか、レイアウトとか)もすごくよかった

むねがいっぱいになって、走ってかえる!の気持ちで電車に乗って会いに行った友だちに、興奮ぎみにこの作品の話をした 🪐

金属製の板 紙みたいなかんたんに朽ち果てたりしなそうなものに描かれていたのもよかった

制作してる写真も撮らせてもらって、それもすごくかっこいいのだけれどご本人が写っているので作品だけの写真をのせる(まだ制作途中のもの)


12
■宮地祥平
なんとなく(10)よりすきかもしれない 写真にリタッチ?のメモ?のようなものがたくさん書かれている

アートとか作品とよばれる写真っていままでぜんぜん観たことがなかったけど、じぶんの全貌って基本的にじぶんでは見られないし、撮られて、撮られる過程とか、あるいは写真になる過程とか、写真になったあととかに、ぐにゃぐにゃにしてもらえたら、この実存の身体からけっこう自由になれるかもしれないとおもった

私もぼやんぼやんの像になりたいし、奥の部屋の一番奥のみたいになりたい
あれはつらそうだし(モンエナのんで覚醒するのは身体じゃなくて脳なのか〜)、ほかの身体!な写真と対なかんじもしたけれど(でも頭も身体の一部だ)

性的な表現、AVとか、おんなのグラビア写真とかがどうしてもかなりきらいで、性行為や性的な表現で美しいと思えるのはずっと、真冬の雪のなかで交尾するレッサーパンダの動画だけだったけど(日活ロマンポルノも10年くらい前はすきだったけど、いま観たらどんな気持ちになるのかわからない)、にんげんの性的な表象でもいやじゃないなというものがじぶんにもあるんだな、とおもった

うつくしいなとおもえた肉体もあってうれしかった
でもそれは作品に写った行為から愛を感じられるから、とかではなくて なんでいやじゃなかったんだろう

縦にまっぷたつに破かれた写真の、はなればなれになったふたり
(各駅停車の駅を猛スピードで急行列車が過ぎ去っていく映画のことをかんがえた)

13
■平山好哉
最初、用意されていたソファがふわふわでうれしかったのに
ほんとうにいやな映像だった
ぜんぶこわくなってくる 意味不明 まるまる1周みたけど、たぶん3周くらいしたらふつうに正気でいられないとおもう 
しかも1周まわったのにぜんぜん記憶に残ってない写真とかもあってこわい

とにかくこわい こわすぎる ほんとうにこわい なんだったんだ
めっちゃこわい
すべての写真ががこわくみえる
意味不明…

これにきゅうに提供してないのに自分とか家族とか、自分の家とか近所とか、知ってる場所が出てきたらたぶんめっちゃこわいよね、出てこなくてよかったすぎる
でも出てきたらどうしようみたいなこわさがすごいあるんだよ 

14
■ユ・ミンジン
展示場所を変更してたのかな?
観てないと思う

■後藤拓朗
なんとなーくわかる(見覚えのある)こわさ
森のなかの裸体の男にすごく見覚えがあるんだけど、いったいそんなのどこで見たのだろう

15
■晃子てるぬま
ちびっこたちの作品など

16
■寺島大介
急いでて観られなかった

(以上、おわり)

大人になってからこんなふうに現代アートというものに救われたり、ちからをもらったり、むねがいっぱいになったりするんだな〜と思った

身体と非言語のあたりでずっとぐるぐるしてる自分がこのタイミングで観れてよかったな

黄金町
高架下のギャラリー 古い家
川沿いの風景

端正で、隙間のないまちよりも、よくわかんない隙間があって、綻んだところを取り急ぎで継ぎ当てして、いつのまにかそのまんま月日が経ってるみたいなまちがすきで
黄金町はそんなまちだ〜と思った
なんか、じぶんがいてもいい気がしてくるというか

くねくねとおさんぽしながら観れるっていう仕組みもよかった

ねこもいた

おしまい🐈

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