ふたりのじぶん。【自分で主張を書いてみて】

私の所属してるNPOの団体では、中高生の子たちが企画運営するイベントの中に「主張」と呼ばれる自分が社会に発信したいことを自分の言葉で発信しようという所謂スピーチの様な部門がある。

自分のそれまでの人生についてや、向き合いたくなかったものに向き合って書く子も沢山いる分、それはその子の生き筋が込められている大切な心の欠片だと思っている。

1人で心の欠片を集めるのは怖かったり辛かったり訳分からんかったりすることも多い。

だから、「主張付き」と呼ばれるアドバイザーが着くことが多い。

私も何人か主張付きをやらせてもらう機会があったしその子の心の欠片に触れさせてもらったことに感謝しかない。

今年、主張付きのレベル強化、向上を目指して、ある先輩がプロジェクトを主導してくださった。

自分で主張を書くことで分かることも多いだろうということで、
プロジェクトに参加するメンバーは主張を書いてみることになった。

仮にも北海道のアドバイザーの代表の人間である私。
後輩に恥ずかしいものは見せられないと、心して書き始めた。

しかし、書けない。
筆が進まない。

社会ってなんぞや。となった。
なんだか突然自分は大層なことを社会に発信しようと烏滸がましいことを考えている気がしてきた。

自分の伝えたいことは、もっと柔らかくて身近で激しくてそっとしたちょっとしたもののはずなのに。

最初にかけたのは2行だけ。
何日も悩んで、恥を捨てて心に浮かんだ言葉を羅列させた。

それを見た先輩は
「お前はどつぼにハマると思っていた、何様だと言ってやろうと思ったけど、その壁を自分で壊せるようになったのか」と、言われた。

うれしいきもちとどこかに少しほっとした自分がいた。

主張とも呼べないであろう初稿に羅列された言葉を先輩と読みといていく。涙が出る。

その言葉の中には、ふたりのじぶんがどうやらいるらしい。
その2人が全然違う。正反対というか、でもそれが混ざりあっているような切り替わるようなそんな奇妙なふたり。
優しい自分と、正しい自分。
先天的な自分と、後天的な自分。
本来の自分と、なりたかった自分。
守らたい自分と、守るための自分。

そのふたりが、仲良くやって行ける道を探すことがこの主張のゴールになりそうだ。