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六甲ウィメンズハウス・オープンイベントに参加して思い出したこと

今日は、認定NPO法人女性と子ども支援センターウィメンズネット・こうべさんの「六甲ウィメンズハウス」オープンイベントへ行ってきました。

代表の正井禮子さんのごあいさつ後は、今後は誰かの住まいとなるお部屋の内覧もさせていただきました。どのお部屋も「安心」ができ、心が落ち着くような場所でした。
正井さんの言葉に『安心安全な自分らしい暮らしは誰もが住まいを持つ権利。雨風がしのげるのが家という意味だけでなく、家の中で安心できる、夜も安心して眠れる場所が家なのです』という言葉に心を打たれたわたしは、ひとつひとつのお部屋を見せてもらいながら、子どものころの自分を思い出していました。

わたしが小学生時代を過ごした1980年代はDVや児童虐待といった考え方そのものがありませんでした。そして、父の暴力はわたしが物心ついたころには日常的にあり、中学生くらいまで酷かったようにおもいます。

あの時代は、家庭内でおこる全ては、他人がとやかく言えるものではなかったし、口を出そうものなら『お前が引き取り養えるのか』といった言葉がかえってくるので、全ての人生を引き取れる覚悟をもって『暴力はいけないことです』と言える人はわたしの周りでは誰一人いませんでした。

あのころ、母はよく『あんたさえいなければ、私は自由になれるのに』となげやりで、あたたかみもない言葉を泣きながらわたしになげていました。
その言葉を聞かされるたびに、わたしが何をしたのだろうかと不安になるし、そもそも自分が存在していること事態が、大切な母を不幸にしているのだと思うこともありました。

だから自分に、幸せになる権利があるとか、社会参加する権利があるとか、自分の意見をもち発言できる権利があるとか、安全に暮らせる権利があるとか、そんなことを想像することすらなかったし、そんな生き方ができるなんて当時は思いもしなかったのです。

ある日、母が暴力に耐えかね、わたしと妹を連れ家を出ました。わたしは本当にうれしくて、どんなことでも母を助けて生きていこうと心に誓いました。
数日は母の友人の家に身を寄せながら、母は父と電話でやりとりをしていたように思います。友人宅にいつまでもお世話になることもできず、『やっぱりお父さんがいい』と母のひとことで訳もわからないまま元の家に帰ることになりました。

この一件は、家庭で過ごす時間が恐怖でしかないのは、私の努力が足りわけでも子どもの私たちに原因など全くなく、母は好きでこの日常を続けているんだと理解しました。その日常に私を引き込む母のことが、つくづく嫌いになりました。そして、あの出来事はなかったように、これまで通りのいつもの恐怖な日常が続きました。

父のDVは、経済的、身体的、心理的の全てを網羅していて、母には1円も自由になるお金はなく管理され、顔にアザをつけて掃除のパートへでかけ、実家親戚とも絶縁となり、友人や近所の人との会話も禁止されていました。

彼女はいったい何を楽しみに生きていたのだろうかと、いま同じ女性として考えることがあります。だから、あの時なぜ引き返したのか、本当のところはわからないけれど、彼女に子どもを養える経済力があるか、迎え入れてくれる実家(当時、嫁にだした娘の場所はないと祖母にいわれたそう)があれば、彼女の生き方はまた違ったのかもしれない。そして、私は母を毛嫌いすることもなかったかもしれない。もし、あの時に正井さんが長年言い続けてきたこの場所があれば、母は引き返すことはなかったかもしれない。
もし、このような場所があれば、19才で自由を求めて家出をした私は安心して夜を過ごせたのかもしれない。

もしあの時・・・ と、そんな「たられば」だけど想像しまう自分がいました。まだ、誰も入居していない部屋をみながら、手に持てるだけの荷物を持って出てきた子どもたちが嬉しそうに部屋を駆けまわる姿を思い浮かべていました。

いまは、わたしも気持ちも整理ができ、母との交流ができるようになりました。母には自分のためにこれからの人生を楽しんでほしいと願っています。

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児童虐待防止法があっても、いまも暴力にさらされている子どもたちがいます。
さまざまな法律ができ制度が整っても、1980代に母と私がすごした日常とかわらない女性や子どもたちがいることが悲しくて仕方がありません。

わたしは男性女性子ども関係なく、誰もが自分の意思で行動を選択できる自由があることを願ってやみません。ただそれだけを望み、すべての判断軸と行動があります。

今よりもっともっと女性支援が難しい時代に旗を掲げ、行動しつづけてきた先輩方との出会いに、尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。そんな先輩方からは、いつもわたしに勇気と「あなたは本当によくやっているわよ。がんばんなさいね。」と優しく背中をなでてくれる大きな愛をいただいています。

私がいまいる場所でやるべきことを諦めることなくやり続けることが、先輩方への恩返しだと信じてがんばっていきます。

代表の正井禮子さんからのあいさつは、笑いと涙の入り混じるようなものでした。正井さんから、つながりのある方々へコメントを突然求める無茶ぶりもありましたが、それぞれの方からみる正井さんのお人柄に触れるエピソードは、まだ出会って数回しかお目にかかったことがない私には、新鮮なお話ばかりでした。
オープンはスタート。六甲ウィメンズハウス運営費用が必要です。
応援のご寄付どうぞよろしくお願いします。

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