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グローバル化における共存社会とは。


大学に入学し、2ヶ月が経とうとしている。学校では主に外国語を専攻している。そのような環境下で

「外国語学部だったら、英語とか喋れるんだー。凄いねー。」

このような事を言われることは多々ある。しかし、様々な授業を通じて、「言語」が使えるだけで、本当にいいのだろうかと疑問に思うことがよくある。

近年では、物事のやりとりが世界規模で行われるようになり、「グローバル化」とも言われる時代を迎えている。また多くの外国人観光客が日本に足を運び、東京五輪が開催される2020年までに訪日外国人数4000万人を目標に掲げている。オリンピック・パラリンピックの開催に伴い、日本の「グローバル化」の勢いが増す一方と考える人もいるだろう。

しかし「グローバル化」を背景に今日では様々な社会問題も存在する。タイムリーな話題であれば「北朝鮮の核ミサイル問題」や「世界各国におけるテロ事件」、または「格差問題」など、数えきれない程である。

今回は学校で学んだことを交え、少し自分の意見を話したいと思う。

よく「移民」と言った言葉をニュースや新聞で目にする。
国民の反発がありながらも、移民を受け入れに寛容な態度を示すドイツ、一方、昨年の大統領選挙で大統領の地位を確立した「ドナルド・トランプ」が率いるアメリカやEUを独立したイギリスみたいに移民の受け入れを断ち切ろうしたりと国々によって対策は異なる。


私たちが住む国「日本」はどうだろか?

よく行くコンビニエンスストアや飲食店でも多くの他国籍の方を目にする機会が増えたと感じる。また20年に開催される東京五輪に向けて、懸念されている「労働力不足」や「少子高齢化」の改善には、移民は欠かすことが出来ないのが現状である。それなのにも関わらず、働く上で、平等に扱われなかったり、十分な日本語教育が受けられない、偏見でものごとを決めてしまい閉鎖的な態度を見せるといった問題が挙げられています。また「国粋主義」といった「自国優先」的な考え方が今尚あり、移民に対する「社会福祉」や「教育」などの政策に対する議論の必要性が見出されることがない状態が続いている。

私は受け入れる姿勢をもっとしていくべきだと考える。そもそも、私たちは、前述にあげた「国粋主義」の意識が強く、移民して来た人に対する姿勢が残念なものに成りがちだと思います。しかし、「グローバル化に対応していく」と国が謳い続けるのであれば、初等教育から英語などの「語学」に力を注ぐだけでなく、「異文化理解」に努めていき、遠回りになるかもしれないが、移民受け入れに積極になるべきだと思う。


「言語」が使えるだけで、いいのだろうか?言うまでもなく、「言語」も大切である。けれども「言語」よりも、「異文化理解」の方が、人と人が共存していく社会で、断然大切なのではないかと感じる。


異文化を理解した上での人々のやりとり


これが「グローバル化における共存社会」と私は考える。


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