見出し画像

宮迫博之さんの姓名易断Part3

非常事態宣言対応で社内はザワザワしていますが、私としては在宅勤務になれば、通勤時間が往復で4時間くらい削減されることになりますので、浮いた時間の使い方をシュミレーションしています。

昨日は最悪、明日以降出社がなくなることを想定して、大井町の8に軽く寄りました。

画像1

これが昨夜のちょい飲みセットです。鳥のしゃぶしゃぶ風寄せ鍋とパクチーのイカの塩辛あえと新政のNo6です。
自宅に帰ったら何もなかったように夕食を取るノルマがありますので、このセットが私に取って最高のコースです。
非常に美味しいかったです。残念ながら店長から明日からしばらくの間、臨時休業することになったとのことで、本日寄っておいで大正解でした。

画像2

宮迫博之さんの 四十一歳から五十歳までは
澤地萃(たくちすい)です。

卦辞
願いごとはかなう。 王者たる者は宗廟に祖先を記ればよろしいし、 人民は賢者に会って従えばよろしい。思うように事は運ぶであろう
ただし正しい道を守り続けた場合にのみ利を得られる。牛や豚などの大きないけにえを用いて祭肥を行って吉。進んでよい

象伝
澤が地の上にのぼるさまが卒である。君子はこの象に則って、 兵器を手入れして、予期せぬ突発事件に備えるのである。
この卦の間はそれまでと、うって変わって身辺が何ごとにつけ騒がしくなります。


まず対人関係の幅が大きく広がり、多種多様の人物と出会うことになるでしょう。したがって、それにともなう雑多な用事から重要な仕事まで、消化しなければならない問題が山積し、悩ませることもあります。

澤地には、集まる、という意味があり、人間に始まってものや仕事などが、どんどんまわりに集合してくるからなのです。
さらに、地のもたらす地の力がそれらを吸い込んでしまうのですから、いっそう多忙となります。

多くの人間との出会いの中では、足をすくおうとする人間が現れたり、激しい生存競争が待ち受けています。
しかし、数多い出会いの中には、力となってくれる味方もまた沢山います。

これらの友人は沢のもたらす力によって呼びよせられた教養があり、人格高尚な人々ですからかならず悩みごと解決してくれるのです。

恋愛運についても、同じです。
多くの異性との出会いの中から、澤の力によって導かれた相手が現れゆっくりと愛を深め合っていくことになります。

澤の流れのように、静かな内向的なタイプですが、人に対しては謙虚で礼儀正しい賢明な相手といえます


五十一歳から六十歳までは坤為地(こんいち)

卦辞

願いごとは大いにかなう。 ただし牝馬のようにやさしく賢くおだやかに行動する場合にのみ利益がある。

人の先に立とうとすれば迷って道を失うが、人の後に従うように心がければよき先達を得て迷うことはない。

西南に行けば友を得てもとより吉であり、東北に行けば友を失うが最後には喜びがあるので吉である。

要はいかなる場合にも安らかで正しい態度が吉を招きます。

象伝

大地の働き、これが坤である。君子はこの象に則って、徳を厚くして人々を包容します。

起伏のない、穏やかな地平が続いています。何もかもを、包みこんでしまう心の広さがあります。

この卦は形をみると、すべてが女性を意味する陰からできており、男性的な荒々しさとは無縁な運を示しているといえるからなのです。

したがって、この卦はたとえ男性であっても、穏やかで従順な行動をとれば吉となります。

仕事においても、成功を収めるのには、なんらかの犠牲や、他人からの嫉妬がつきまとうものですが、この卦の人は万事穏やかにことが運んでゆくのです。

憎めない方なので、人間関係も非常に良好で、目上、友人、目下を問わず、周囲の人たちから大きな援助が得られます。

地の力が重なることによって、地面に雨がしみこむように、降りそそぐ好意をすべて吸収するのです。

恋愛面においても、よく気がつく思いやりのある異性が出現します。

その女性のやさしさに包まれて、甘美な愛の世界にひたることができるでしょう。

六十一歳から七十歳までは風地観です

卦辞

手を洗い身を浄めて、 供物を捧げる前のひと時。 そのように厳粛敬曳な心でいるなら、人々は信じ尊敬してくれるであろう。

象伝

風が大地の上を吹き渡っているさまが観である。 古代の聖王はこの象に則って、あまねく四方を巡行し、民の風俗を観察して、それぞれにふさわしい教えを立てたのである。

乱風が大地を吹き抜ければ、花びらはもがれ、物は根こそぎにされて、荒涼とした風景だけが空しく横たわります。この卦は地に風が通りすぎる象徴ですが、空漠とした心を表しているかのようです。
まさに、この卦に遭遇した時の内面を示しています。

この時期の運命は、実りのあるものとはいえませんが、運命のいたずらを冷静に眺めていれば、精神的な進歩が得られるでしょう。

観という字は、見る。という意味に加えて、心の内面を観る、つまり、思索、反省という意味があります。

あまり動きまわらず、静かに、学問、信仰などに精神を集中させるのがいいのです。

この禁を破って、何かを始めようものなら、風の力に身をもてあそばれ、多忙に追われるのみで、なんら得るところもなく、あとは悶々と過去をふり返って眺めるしかないのです。

誤った判断に身を滅ばす可能性がありますから、つねに慎重を心掛けてなければなりません。

対人関係で他人にふりまわされがちですが、とくに恋愛では注意が肝心です。風の影響からうまく身を避けなくては、衝動的な行為に苦い思いが残るだけです。
もちろん、たんなる遊びとしてなら、この時期は多くの女性と巡り会える年ですから、思い出は多くなるかもしれません

また、理想と現実のギャップに頭を悩まされそうです。風の力に翻弄されて、思うように事が運ばないからです。

このようにこの時期は要注意な時期です。




読んでいただいてありがとうございました。 サポートして頂いた方には、個別に手相、紫微斗数占い、易占いに関する相談を受け、サポートさせて頂きます。