零式共鳴編四層についての考察走り書き
零式共鳴4層について
Nとの大きな違いはガイアがいたかどうか。
N共鳴に関しては単純に、光と闇の立場はリーンとガイアが対応しているので、そのまま読み取ってOKだと思う。じゃあ零式だと?
問題はガイアが存在しない零式のとくに後半部分から。
聖竜との真なる融和のフェイズは恐らく、過去改変の再演の儀式。もしくはIFの世界線の分岐であると考える。
そもそも漆黒のヴィランズの光の戦士の生存が過去を改変することによって違う歴史に分岐する、という流れからしても、その要素が取り込まれているのは不自然じゃない。
シルクス・ツイニング等はクエスト名からもわかるけれど、完全に冥界下りをモチーフにしての死者の復活を目的としていたし。
フレースヴェルグは蒼天のイシュガルドにおいても静観の立場だった。その後、イゼルの決死の覚悟等々で人類側に味方するなどはしたものの、基本的にはシヴァとの別れで強い苦悩と諦観から俗世からは離れていた世棄てドラゴン。
ここは星の守護者として動いていたニーズヘッグにも揶揄される部分でもある。ニーズヘッグは人類より龍族が世界の守護者として相応しいという認識で、だからこそトールダンの計画を潰すために動いていたりもしたのに、フレースヴェルグはここに対してノータッチ。完全に職務放棄。
ニーズヘッグがその後、邪竜の影としてエスティニアンと同期し、その後紆余曲折あっても彼との奇妙な友情に似た関係を得て世を去ったのに対して、フレースヴェルグは苦悩の果てにシヴァを喰らったものの、イゼルに怒ったりしたシーンも含めてその結果には納得/そして融和も果たせていない。
フレースヴェルグはニーズヘッグの対になる存在として描かれていて(聖と闇という属性も含め)
狂気に堕ちたはずのニーズヘッグは、死を踏み越えてフレースヴェルグが真に欲しがっていた人間との融和を果たしてしまったっていう皮肉もあったりするのだけど、ここはいったん置いておく部分。ニーズヘッグのことを羨ましく思っていただろう描写もありけりだけども。
フレースヴェルグのメンタルについては上記の通りで、狂気に堕ちたニーズヘッグの対比の存在であれば、フレースヴェルグが狂気に堕ちたパターンがあればニーズヘッグがそれを止めに入ったはず。
それが、フレーズスェルグがシヴァと同時に自決して蛮神にアセンションすることで融和を果たすルートを1200年前にした場合と考えられる。
但し、バハムートがティアマトの過ちで蛮神化したことは確実に知っているだろうから、そうしなかったんじゃないかとは考えられる。それでもフレースヴェルグがこの選択肢を取ってしまったIFが、零式共鳴4層の演出なんじゃないだろうか。
この状況であれば、星の守護者であり、かつラタトスクを失っていないニーズヘッグは凶行を止めるべく、立ちはだかるのが自然。闇の戦士というのは名目だけであり、実際には光の加護を受けてる光の戦士が、シヴァ(聖竜状態)からの攻撃を闇で相殺していくことはできない。対ニーズヘッグ戦でもそうだけど、竜の眼の力を借りなければ本来竜とはまともに戦えないはずなので。
ここは光の戦士がニーズヘッグの代行者としてシヴァから認識されているため、たびたび光に抗う闇と言及されていると考えられるし、認識上の上では闇の力を持って対峙している状態なのだと考えられる。
一見意味不明な聖竜の頭を相殺していくギミックも、フレースヴェルグがシヴァと融合して絶望の竜詩(本来の歴史よりもさらに悪い)が発生してしまうのを闇の力で相殺していくって読めば納得できる。聖竜の首がぐるっと一周回っていくのは、時計の針が進んでいくミームとして考えれば自然。鏡の国がたびたび出てくるのはリーンが読んでいた本からの引用もあるけど、異世界(分岐した世界)からの侵略、改変が行われていると見ることもできる。
この場合、蛮神化したシヴァが望むのは永遠に共にいること(つまり世界の停滞による終焉)世界を光と氷で埋め尽くして光の氾濫を目指したはず。
つまり、絶望の竜詩とは、光と氷の蛮神になった二人が原初世界を光の氾濫へと導いていく、存在しなかった竜詩なのではないだろうか。