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推し、燃ゆ

推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。

推しを持つ私からするとぎょっとする書き出し。そんなに賢い感想が書けるとは思えないけど勢いで書いてみることにする!!!!!!!!!!

推しが炎上しているのに、主人公のあかりが冒頭からその件に関してあまり現実味を感じていないところがずっと気になっていた。推しへの批判的なコメントや書き込みを見ても激しい憤りの感情を文章から感じない。分厚いガラスを1枚挟んでいるような。これはオタク友達とのコミュニケーションにも言えていて、基本的に上澄みを掬うような会話が多い。推しについて深く分かり合えているようだけど実際は特にそうでもなく、お互いがお互いの解釈を一方的に語っている感じ。語ると言ってもあかりのブログは特定の人に向けたものではなくただの独り言だったのではないかと思う。でもそれで良くて、むしろそれが良かったんだろうな。彼女の推しの解釈は彼女の生活そのものの成果だったし、それは彼女の背骨だったから、誰かの解釈によって否定されるわけにはいかない。守らないと。

一方、クラスメイトの水泳の授業の様子など彼女の周りの描写がやけにリアルで生々しくて、あかりにとっての現実、ひいては生活や人生は確固たる形を持ちすぎたグロテスクなものだと感じられる。散らかった部屋、時給のためだけに耐えるバイト、覚えられない九九、どこにも馴染めない宙ぶらりんの生活。そのどれもがあかりの心を重くし、彼女に憂鬱な生と肉体の存在を思わせた。でも、あかりはその中で思考だけはふわっとさせていた。意図的なのか、そうでないのかはわからないけど。

読み始めるまでは、いわゆる「あるある小説」みたいなものかと思ってた。推しが生活の中心になっているオタクの末路がなんとなく悲劇的に描かれた話なんだろうと。でも、以前本屋で冒頭部分を立ち読みしたときの印象とその先を読んだときの印象はまるで違っていて、この物語は思っていたよりも文学的で人間的で、そして普遍的だった。

自分以外のものに執着することで、人はそれに、自分の人生を背負ってもらったような気持ちになるんだと思う。舵を取ってもらえるような気持ちに。あかりは完全に推しに生活を預けていた。他のオタク友達と比べても、あかりは推しにほぼへばりついていたと思う。

「推し活」って言葉も有名になって何かのオタクであることがスタンダードになってきてる感がある。でも、推しを持つことって本当に健康的なのかな?これは最近私が考えていたことだけど、単純に生活を捧げて時間やお金を費やしたり依存することがダメとかじゃなくて、推しがいることで自分が持つ自分の人生への裁量、責任感みたいなものが少し推しに移るような気がするというか。
もちろん推しの影響を受けることが完全悪なわけはないし、むしろ人生を豊かにすることの方が多いし、ましてやこの文章で自分や他人に対して気づきや反省をもたらそうなんて気持ちは1ミリもないんだけど、そんな気がする。だから推しを通して世界を見ると、わりと思考停止と楽ができる感じ。シンプルに楽なんだと思う。

ただ、健康的か?という視点だとどうなんだろうって考えたことがあって。自分を着飾ったり美味しいものを食べることにエネルギーを費やすことは全部自分が軸で、まあそこには自己肯定のためだったり顕示欲みたいなものもあるのかもしれないけど、一応自分のためだけの行動だと思う。でも、推しを中心に据えて起こす行動ってやっぱり推しにどこか自分を委任してしまってる。それとなく免罪符にして、勝手に預けてるんだと思う。
その預けてるものが信頼だったり愛だったりするんだろうけど推しもそれが目に見えるわけじゃないから自分の背中にどれだけ背負ってしまってるかわからなくて、普段は丁寧に扱ってても時々疲れて雑に払ったり肩を回して落としたりするんじゃないかな。それでびっくりした私たちは、裏切られた、寂しい、ひどい、って表現する。我々の関係の壊れ方ってそんな感じなんじゃないかと。健康のために推しを使うことはあっても推しに健康を預けて左右されることはないほうがいい。
こんな感想ありきたりだし本当に陳腐で嫌になるけど、推しに自分を預けすぎて舵を取れなくなることは避けないとな、って思う。思ってしまう、痛々しい小説だった。

普通の人になってしまった推しは、あかりの周りの生活と同じグロテスクな存在。でも、現実に降りてきたその人間にあかりは預けすぎてきてしまったし、そもそも預けていないとあかりの身体は生を背負っていられない。そのくらい、人生って重たくてどうしようもないものなんだと思う。突然預け先を離れて戻ってきた生を、これから彼女はどうするんだろう。

追記: つい推しとのことだけ書いてしまったけど、きっと主軸は推しじゃなくて「生きづらさ」だった。生きることが難しく、そして周りの人もそれを認められず「正しい」やり方だけを押しつけてしまう。その状況から目を逸らすため、あるいは自分の衝動を代弁させるためにガラスの向こうの世界に傾倒した、生をおざなりにしてしまった1人の人間の話。だったと思う。

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