電車から溢れる思い
人がまばらになった年末の電車。
午前中の冬の眩しいほどの日差しが静かな車中にキラキラと入り込んで
私の耳の中では涙声で「イエスのように私を気にかけてくれた人はいなかった」と歌っていた。(その時は何の歌かは分からなかったのだけど)
私は、この一年を振り返って見てもただただ感謝しかなかった。
なので、その歌声と共に電車の中で主に礼拝した。
ふと「私の思い」をもし広げたならばいったいどれほどの面積になるのだろうと想い巡らせ、とてつもない面積になるだろうと、そしてそのひとつも主に隠れたものは無かったんだ、と。そのどの時もイエスは私から離れる事はなかったんだと主の愛の深さを知る。
そしてクリスチャンはもちろんこと、この車両に乗り合わせたきっと神さまを知らない1人1人の、その人生とその「思い」も全て主の目の前にあるのだと思い。そして同じように愛されているんだと思うと、もう計り知れない。
「イエスさまはあなたが泣いている事を知っているのだって、そしてあなたを本当に愛してるんだって」と伝えられたらどんなにいいだろう。
ただただ、その事だけを伝えられたらいいなぁ
私は特別に愛されているんだけど、でも実はあなたも同じなのって。
地球を何週も何週もするほどの多くの人の「思い」の行き先が「愛」で終着しますように。
その為に私に出来る、あなたが私に計画した事を成させて下さい。
諦めずに、無関心にならずに、思い願い祈り続ける火を絶えず与えて下さい。主よ。
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