きさらぎトンネル②

『おばさん、いくらかな』

私は安心したように、目の前にいる老婆へ財布から告げられた金額を払うつもりでいました。

しかし老婆は何も答えてくれません。それどころか正座して頭に手ぬぐいを巻いてじっと下を向いたままで、一向に私の顔をみません。

『おばさんいくら‼️』と

今度は強く言ってみましたが、その老婆は全く話をしようとも菓子パンやドリンクを袋に詰めようともしません。

私は、もしかするとこの老婆は耳が悪いのかもしれないと思い
いつも購入している銘柄のスポーツドリンクと菓子パンの大方の値段より、少し上乗せした金額を老婆の膝元に置くと、

『おばさん❗️ここ置いとくよ‼️』と、ゆっくりと声高々に老婆の近くに言って店を出ました。

首を傾げながらバス停留所のベンチに腰掛けて、菓子パンを食べながら周囲をキョロキョロ見渡した時、疑問が確信に変わりつつありました。

異次元世界に迷い込んだか❓

ここで言う異次元世界とは、霊界とかでなく、魔界(兇党界)のような場所がこの世には存在するのではないかと思うし、物質世界と中立した空間があっても不思議ではないのかもと、例えばブラックホール的時空がねじれた世界があり、その中に魔界(兇堂界)が存在するとか。

もし、そうした世界があるのならトンネルが1番その出入り口になるのかもしれない…

川を覗きこんで見ると川が流れていない、まるでストップウォッチを止めたように水が止まっていました。

一気にドリンクを飲み干した私は自転車に跨ると、今きた道を戻るべくペダルを回そうとしますが、ふと老婆の店の先はどうなっているのだろうと思うと、

迷いがでてきました。

少しだけ、少しだけこの集落を見て見ようと再びトンネルを背に老婆の店を通り過ぎて、100mほどすすんでみました。
民家が並ぶ景色はいつもの山路を通過する時と変わらない風景ですが、何というかやっぱり人の気配がしない、人が住んでいるという波動を感じない。

ほとんど歩くようなペースで左右に立ち並ぶ民家をキョロキョロするのですが、時間が止まったように静かでした。

500m進むと、ここら辺だなと思い、今きた道に戻るようにUターンしかけると、家畜小屋が目につきました。

豚とか牛が居るのではと思い、自転車を降りてみると、牛が横たわっていました。
牛が寝ているじゃないかと思いましたが、その牛は何故か外景が白い斑ら模様でした。

斑ら模様の牛❓こんな品種見た事ないし

この牛、寝てるんじゃない…

死んでる…

それも一頭でなく、残りの2頭も死んでる❗️

自分の今いる場所はおかしい絶対おかしい。

私は慌てて自転車に乗って、もと来たま道を逃げるようにスピードをあげて、先程の老婆の店をチラ見する事もなく躊躇なくトンネルに入りました。

真っ暗なトンネル、ただひたすらに私はペダルを回しながら前方の光を目指しました。

短い筈のトンネルが私にとってはやたら長くかんじましたが、胸中は焦りで一杯でした。異次元に迷いこんだかも。

短い筈のトンネルを長く感じながらトンネルを抜けても無我夢中でペダルを踏むと、小さな石橋で私は一旦止まると呼吸が整うのを待ちました。石橋から川を見ると川のせせらぎか聞こえてきました。
安心したかのように私は自転車を降りて地面に坐り込みました。

石橋の先に空き地がありましたのでそこで移動した私は、再び坐り込んでいると、また意識が朦朧としました。とにかく身体がダルくてフラフラしながら自転車に跨り戻ろうとしますが、何故かペダルを踏む事ができず、力なく自転車ごと倒れると目の前に誰かが私をみていました。
虚ろで良くはわかりませんでしたが、トンネル内でみた陸軍兵隊と同じカーキ色の服に見えたのは覚えています。

その後、睡魔で寝てしまった私は気がつくと誰かに揺さぶられたような感覚と叫び声に意識がもどりました。

『お前どうしたんだ❗️大丈夫か、大丈夫か❗️俺がわかるか❗️


うっすらと見えて叫んでる人は、私の父親の友人でした。
気がつくと私は当時住んでいた自宅の近くにあるドライブインの駐車場に倒れていました。

所用でたまたま車で出かけていた父親の友人の方がドライブイン内にある自販機の前で下半身血だらけで倒れている私を、たまたま見かけて私の異変に気がついてかけつけたという事でした。

父の友人は車に跳ねられたと思ったようで、救急車を呼ぶから待ってろと慌ててましたが、意識がハッキリとしてきた私はただ呆然としていました。

あの石橋の先で寝てしまった私は、狭間から南大分のルートをどうやって帰り戻ったのか、覚えていませんでした。

父の友人に何度も何度も頭を下げて、自分は大丈夫ですからと言う事を言って救急車は呼ばなくて大丈夫だとお伝えしましたが、両脚膝下の怪我が酷かったので心配おかけしました、転んでしまいましたとだけお伝えしましたが、

今考えても、思い出してみても、あの場所から自転車に乗って戻った記憶が無くて、どうみてもありえない事でした。

この体験以来私は阿蘇野から久住高原に入る道は間違えたルートは通ってません。あのトンネルと老婆のお店、集落は今現在存在するのかはわかりません。

その後県庁に勤める友人で、ある程度山路のトンネルなどは大分県内なら仕事柄熟知していると言う事で聞いてみたところ、そんなトンネルや石橋は存在しないとの返事でした。

その後きさらぎ駅が話題になりましたが、はすみさんが現世界に戻った書き込みが2011年、何となくそこから何か引っかかるように、もしかして自分は311で放射能漏れですめなくなった街に行ったのではないかと、思い出しては考える事があります。

人生で1番不思議な体験だと思っていますが…。



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