旅すること


わたしはこれがとても好きだ。
でもなぜ好きなのか、そんなことを考えたことはなかった。
ただ好きで自然と、半ば病の様に、取り憑かれたように旅をしてきた。
だからなぜ旅が好きなのかわからなかった。

それでも最近、「なぜ」「どうして」そう聞かれることがあまりにも多くて、気づいたら理由を求め、考えている自分がいた。

楽しいから
ワクワクするから
非日常を味わえるから
異文化に触れることができるから
未知の世界を目にすることができるから

もっともらしい理由もそれなりに思い浮かぶ

だけどどこかしっくりこない。
間違いではないが何かが違うのだ。

答えを、私が感じていることを言語化している様な本はないか、
答えが欲しい、そんな傲慢なことは言わない
ヒントが欲しい、私がこの感情を言語化できるヒントが。

そう思って手にとったのは
沢木耕太郎の『旅する力 深夜特急ノート』
である。

率直な感想を述べるならば、共感の羨望の嵐だった。
私が言葉にできなかったことを沢木はいとも簡単に表現してしまっている。
そして『深夜特急』シリーズの原体験となっている彼の旅は、私だけでなく、人々を旅に駆り立ててしまう恐ろしさがあった。そして羨ましい。

「旅は病のようなものかもしれない。それも永遠に癒されることのない病だ。」(pp.23 )

あぁ、わたしも冒されていたんだ。旅という病に。そう思った。
わたしと近しい人たちは、わたしがどれだけふらふらと彷徨い歩いているか容易に想像し納得できるだろう。
今度から何故旅が好きなのか、そう聞かれたら「病なので。」そう答えることとするか。

2つ、なるほどな。
そう感じたことがある。
旅の財産
旅の適齢期
この2つについてである。

旅の財産。
旅すると多くのことが得られる。
多くのことを体験し、経験値が上がる。
旅することで手に入れることができるものの価値は計り知れない。
そう思っていた。

沢木は違った。
「旅で手に入れたものもあれば、失ったものもある」(pp.226)彼自身が旅で得た最大のものは、自分はどこでも生きていけるという自信だったかもしれないと本書では述べている。
その一方で、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むことになった、とも。

なるほど。少なからずわたしもこの感覚は抱いたことがある。
私が旅で失ってしまったものはなんだろうか。
沢木のように答えが出せない。
自分自身のことなのに答えが出てこないことが恐い。

もう一つ、旅の適齢期について。
「二十六歳ぐらいが外国への長い旅に出るのにふさわしい、いわば適齢期ではないか。確かに、そのくらいの年齢の時がちょうど旅に必要な経験と未経験を二つ併せ持っているのではないかという気がする」(pp.297)

経験も財産だが、未経験という若さも財産なのである。旅においては特に。
経験していないということによって、新たに触れるもの、見るもの、聞くもの、全てに興奮し、感動することができるのだと。

年々、旅をしたときの感動や、興奮が少なくなっている。年齢が、つまり経験が、感動や興奮を奪ってしまったという要素があるに違いない。沢木はそう考えている。

20代には20代の。
30代には30代の。
40代には40代の。
各年齢に適した旅というのがあるのだろう。

20代の今。
いくら旅行が好きだ趣味だと大口を叩いていてもたかが行ったことのある国なんて15か国程度。
同年代ではすでに世界一周をしてる人だっているし
ワーホリで海外にいる人だっている
旅行で何十ヵ国と旅した人だっている。
上下関係なんて気にしないのが旅人のいいところだと思っているけれど、上には上がいる。

まだみたことのない世界がたくさんあるし
まだ知らない世界がたくさんある
わたしが予想もしていない様な文化がある国だってあるだろうし
死ぬほど辛い思いをしなければ辿りつけない、いわば秘境のようなところにある地だってあるはず。

20代。
今が1番パワフルでポジティブで怖いもの知らずで無鉄砲だと思う。
今がいい意味でなんのしがらみもなく、自由に飛び回れると思う。
そしてそれができるだけの体力だってある。
ゆっくりと船に乗ってゴージャスな世界一周、そんなものはおばあちゃんになってからやればいい。それこそ60代が適齢期の旅の仕方だったりするんじゃないか。

今は出来る限り、行けるところまで、貪欲に、無邪気に、後先考えずに(ある程度は考えた方がいいのはわかっている)旅にどっぷりと浸かりたい。

ヒントは得られた気がする。
でもやっぱり答えは見つかりそうにない。
見つけた方がいいのか見つからないままでもいいのかそれさえもわからない。
旅はドープすぎる。
わたしはいつまでもここから抜け出せない。
それでいい。

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