生理バッジと「生理ちゃん」の取り扱い 補足と蛇足

その1、その2の補足と蛇足も転載します。

一応コレで終了します。


生理バッジと「生理ちゃん」の取り扱い 補足と蛇足

12月6日、梅田大丸側の様子が記事になっていた。
やはり生理ちゃんのキャラについては何も言えなかったようだ。
売り場のセールストークに関する対応との対比が凄い。
関西の企業が吉本にケチをつけることへのリスクについて考えさせられる。
キャラ問題が記事になっただけでも良い進展であると思いたい。

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/michikake-daimaru?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharetwitter


前記事で述べたように、このツキイチ生理ちゃんキャラの作者は性差別観を拗らせた性加害思考の人物である。
しかもそれを公然と公開している。

個人がどのような教材から何を学ぶのかは自由だ。
人間の中に潜む醜悪さ、心理と欲望の複雑さも、興味深い考察対象ではある。

しかし、正しい性知識の啓蒙だとか、性教育について考える側だとか、社会的倫理規範が求められる大企業が大義名分のために作品を利用する時、それは必ずしも当てはまらない。

性に関する正しい知識を広め、オープンに語りあえる社会を目指す、ということは人権教育でもあり、性差別や性加害思考というものを社会から減らしていく試みでもあるはずである。

こういった理念に基づく活動に、人権意識が死んでおり性加害思考を公開している作者の作品を起用するというのは、致命的な自己矛盾である。

作品と作者は別である、他作は読まなければいい、というのは程度と種類にもよるかもしれないが個人的な趣味嗜好の範囲でのみ通用する言い訳だ。

この件でやるせなさを増加させているのは、既に生理ちゃんの漫画に救われた多くの人が存在することである。
ここまで共感と救いに飢えていた層に対して、性加害意識を潜在させた作品を提供した罪は重く、このような層を放置してきた社会も同罪である。

専門家に任せればいい話で済めばそれが一番いいのだろうが、みんなで其々に考え試行錯誤し、考察を共有してより良い社会を考えていかなければ、何も考えず批評もない愚民をコントロールする専制政治、差別社会に陥ることをも許容することになる。

専門外であろうと社会的倫理観を形成し、世論を湧き上がらせ方向付け、専門家や権力者に考慮してもらうよう動くのは、一般の市井のあなたや私の役割だ。
考えることを放棄してはいけないと思う。

性に関してオープンに語れる社会を目指すには、こういう件について嫌だといちいち表明する事が積み重なっていくのも大事だ。

とはいえ皆様なかなか情報を収集し、考え続ける時間と労力を捻出することは難しいのだろう。

とりあえず腰痛が完治せずに引きこもり生活が続き、幸い考える時間が沢山ある我思う由悪しからずなのであった。
ちなみに昨日は偏頭痛が酷くなり吐きました。

さて、ここでちょろりっと気になったのが、大丸の問題になったフロアでの接客トークである。
10年来の布ナプ併用生活者としては聞き捨てならない話題である。

婦人科の医師がフロアへ客としてリサーチに行ったのである。
おそらく従業員としてはイヤな汗をかく緊張感が走るお話であるのだが、セールストークとしては誤情報を客に流すものであり、医師の監修や研修の必要性を認めた大丸側は真摯に対応予定。

そうね〜オーガニックコットンのナプキンで経血自体は減ったりしないよね〜
かぶれにくさで言ったら断然コットンの方が良いんだけど、普通のポリマー使った紙ナプより吸水性能と保持力が劣るので、多少排出コントロールしようとすることからくる吸収量の微低下はあるかもね〜
うーん、確かにコットンの方があったかく感じるけど、そりゃつい吸収量限界まで放置してしまうポリマー系よりもさっさと取り替えるからかもなあ〜
などと考えたりしてみた。

というのも、オーガニックコットンのナプキン販売員の方が、経血量が減っていくとか温まるとかそういうセールストークをしたらしいからなのだが。

このトークを巡って、子宮系と言われるトンデモスピの匂いを嗅ぎ取った方々が見られた。
なんだっけそれ、ピコン!new!ということで検索だ。

もう何年も前に、バリバリ酸に弱そうな硬度が低い石の、しかもビーズ型の物を膣に入れるとか、無いわ〜と思ったのが記憶に残る子宮系トンデモ関連の記憶である。

調べてみると完全に記憶から消去されていた、わりと有名だった様子のお二人の名前が…。
ああ、そう言えばいたいた…!
そっか〜悪徳スピとして世間に認知されてしまい、商業スピ業界の業を更に深めた感がする、信者を作ってしまった人たち…。

こういうグループは、カリスマを祀り上げて狂信者を量産した時点で、スピ系の組織としてほぼ失敗である。
正直なところ、この10年のうちに、スピリチュアルという言葉が商業スピ業界を指し示すようになり、そのような言葉が浸透していなかった頃からの、精神世界という言葉の方がまだ怪しさが軽減される気がする。
それでも多少のオカルト色は否めない。
ヒーリングや占星術、萌え要素満載の厨二的マジカルグッズなども好きだし、精神哲学や精神世界の話にも興味があるだけに残念だ。

依存と盲信からくる自己判断する思考の放棄、スピ情報の都合の良い言い訳としての使用には気をつけたいものである。

心の拠り所と苦しみの理解、困難を乗り越えるための知恵と、エゴによる「言い訳」は違うのだ。

そして精神哲学、精神世界的情報には、受け取り手の理解レベルが合わなければ劇薬になってしまうものが多く含まれる。
伝達方法は多くの場合ただの言葉でしかなく、受け取り手の理解の範囲内でしか受け取れず、レベルに見合った使い方しかできない。

さまざまな分野の教育には段階があり、各段階に適した教材があり、免許皆伝後にしか伝わらない情報があったりすることと同様である。

幼児教育分野で最近問題になっているらしい、絵本作家であるの●み氏の虐待肯定論問題であるが、そう言えば前出の二人のうちひとりがやはりこの話題の取り扱いを間違えた事があった。

霊的な情報、精神世界的価値観とはただの情報であり、現世をどう理解してどう生きるかの参考資料でしか無い。

現実社会の問題は、現実社会的正攻法で解決していく必要がある。
現世的倫理観道徳観と現世的価値観に、どのように精神哲学を活かして生きていくかというのが人として社会生活を営み、人として地球上で生きていく基本姿勢である。

自分がどう生きるか、自分にとって何が正しいのか考え感じながら試行錯誤しろ、というのが通常のマスター、教師の役割である。

愛と思いやりが根底に感じられない言説は、基本的に何かがズレてしまっているものだ。

言及するのが躊躇われる、繊細で複雑根深い問題であるが、先の虐待問題について私的な見解を言えば、たとえお空の上のお約束があったとしても、虐待を肯定する言い訳に使用してはいけない。
そのお約束とは、一緒に問題を乗り越え解決していくお約束だろう。
赦されている、という情報がもたらされた時、エゴによる言い訳に使うか、地べたに突っ伏して嗚咽するかの違いは、タイミングや本人の理解度、霊性による。


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