ポルノが脳の認知・思考力に及ぼす影響の個人的考察記録 その1

ポルノが脳の認知・思考力に及ぼす影響の個人的考察記録    その1

2020年1月7日、「なすりつけ◯郎」の衝撃再び。

なすりつけ◯郎とは、ツキイチ!生理ちゃんが大きく取り上げられ、問題になった作者の作品のうち、最も強烈な嫌悪感を多くの人に抱かせる事となったシリーズである。

『誰か教えて!

またなすりつけ太郎が話題になりそうだけど、やっぱオモロイよこれ。なんで問題視するのかわからない。
ちゃんと同意取ってるし、女の子の頭痛や肩こりがなくなってるし、何がダメなの?
生理ちゃんと比べても遜色ない。』

という投げかけがツイッター内に放たれた。
性教育を学びつつ、性に関する情報発信をしており、今後の展開として関係者の交流拠点を作りたいというアカウントからである。

このところの、この作者の作品の取り上げられ方に危機感を抱く、或いは性暴力と性差別についての問題意識がある程度ある人たちに、これを目にした衝撃と緊張が走った…! (と思われる)

…本気か? いや待て、擁護側の釣りか…? アカウントの性質から放置はできないだろう…どう出るのが最善か…?

私は割と激しめに叱責しにいった人のツイートを始めに見たのだが、あとは非常に穏やかで軽めのお導きが2、3あるだけで、突っ込んだ解説者がまだ現れていなかった。

やはり性関係の情報を流している人のコメントも、非常な不安を煽った。

(今回の騒動に関わった人のアクティビストという呼び方の、やや自己陶酔的雰囲気が気になったので、調べてみると以前チェックしていた記事にもそう呼ばれる若い人が確認できた。
もしかしてジョイ◯ルという団体で講座を受けた人達なのかもしれない。
仲間内でどうにか問題意識の共有を高めて欲しいものである。
ここではファッション性が高く聞こえる呼称が使われており、活動を広めるために良いのかもしれないが、自分は良いことをしている、カッコイイ事をしているという独善には注意して自己内省しながら進んでもらいたいものだ。
プライドと陶酔の割合を見極めながらコントロールしていくことは、どんな活動をしていても大事だろう。
全部カタカナだとそうでもないのだが、ここに「性教育」とつけてしまうと、これに引き摺られるようにして、一気に「アカデミックな専門知識を有する(政治)活動家」という意味合いが強まるように感じたし、それに伴う社会的責任を求められるだろうと思う。)

とりあえず、次々と解説者が現れたのでほっとした。

今回話題になった事で、この漫画の問題点があまり理解できていない人が結構多そうな事もわかり、様々な人が様々なトーンで語る機会になったことは、より広範囲の受け手へ届く事にもなっただろう。
同じ内容を語っても、其々の心と思考パターンへ差し込む層は違う。

(ちなみに私はかなり昔のことで記憶は飛んでいるが、大量の漫画とアニメで育ったし、美術工芸関係のものが好きで美術館博物館のはしごをしていた事もあったり、美学美術史学科で4大を出た後にデザイン系の専門学校で工業デザインを専攻したりしているので、その点においてどの程度他の学びをしてきた人の認識と違いがあるのか、自分では自分の偏りに気づきにくい。
ただ、哲学、倫理学、社会学、文化人類学、思想史、宗教史概説、心理学、等の人文系のしっかりとした教育は必須にした方が良いだろうとはいつも思う。
細かいことは覚えていなくとも、客観的考え方の基礎になるものなので、何かを狂信してしまったりするリスクは下がるだろう。
これはオ◯ムの事件の時にも強く思ったことでもある。
宗教哲学とその歴史、組織としての宗教に全く知識がない事は致命的である。)


さて、モノローグ的な物が長くなってしまったが、ここで問題のなすりつけ◯郎の問題点を挙げておこうと思う。
今回の解説者たちとその他の反応を観察する機会を得て、私も以前より作者の悪質さが深刻であると考えるようになった。

一番の問題は、社会的責任があり、社会的倫理観と一定以上の社会問題への認識と配慮が求められる企業が、これを容認し、コラボをした事である。

現在の社会常識と性暴力、差別問題への認識では、こういった作品がある程度ウケる土壌がある事は否めない。
需要が無くなっていき、またある程度世間の監視の目が厳しくならなければ、こういった作品自体は存在し続けるだろうが、堂々と社会的に認めてはいけない類いのものである。

なすりつけ◯郎を掲載しているオモ◯ロは、冒頭の質問が投げられるまで、漫画閲覧に警告表示もなく、なんのゾーニングもされていないという状況だった。
成人向け内容であることが明らかであるにも関わらず、子どもの絵本と揶揄して題することをもネタにしている。

ツキイチ!生理ちゃんのポピュラー化により、これまでアングラサイトを見ていなかった多くの一般の人閲覧がある中で、長い間放置してきた問題を無言修正した形である。

一見してなすりつけ◯郎のキャラクターは男性器の擬人化であるが、これを認識できない人、違うと言い張る人なども見られた事に驚きを隠せないが、前提としてこのキャラクターは男性器の擬人化であり、大多数の人々にそれを想起させるものであり、またそうでなければ漫画の趣旨として成り立たないだろう。
オモ◯ロも公式ツイッターで明言しているようである。

各話で微妙に問題点は異なるし、全話は見ていないが、概ねその問題点は共通している。

現実の性犯罪と性加害の有り様を、これだけリアルに盛り合わせてオモシロオカシイネタとして、一見受け入れられやすい絵柄に乗せて提供する悪質さは筆舌に尽くしがたい。
表現者として読者を惑わせるような技術があるだけに、暗喩的表現手法でオモシロネタとして揶揄することが悪質な行為であると認識する。

宗教者が宗教哲学を己の欲望のために、信者の思考誘導に悪用する罪深さと同様である。
専門の技術と知識の悪用は、より多くの人への影響力がある。


問題のキャラクターの表現力という点では、欲情して大興奮しながら対象に迫る様子は抜きん出てリアルである。
実際こういった様子の人物にトラウマがある人たちに、嫌悪感を抱かせ、悪寒を走らせ、戦慄させるには充分である。
私も3話程度が限界で、それ以上は見られない。

前提認識のその二は、描かれる女性たちは設定では成人していると説明がある物が殆どのようだが、絵柄としてはかなり幼い少女表現であるということである。
つまり、若い女性全般としての象徴と、成人していない幼い少女、或いは性的な知識に乏しい少女という二面性が織り込まれた女性像である。

ここに性加害に見られる典型的な要素がいくつも盛り込まれれている。


知的な女性を性的に征服したいという欲求。

反対に性的な無知を利用して相手にわからないように性行為を押し付けるという行為。

性器を擦り付けたり体液を相手に掛けるという支配欲と、侮蔑行為による優越感。これは車内痴漢例としてもそれほど珍しいものではない。

更にこの作品が悪質な揶揄であるのは、体に良い、薬であるなどと言いくるめて実際に子どもに体液を飲ませるような犯罪行為が現実に存在している事であり、作者はこういった犯罪事例について大変詳しいか、このような犯罪心理に非常に理解が深く、それをネタとして軽く扱っている事である。


幼児、小児への性犯罪は世界的に最も忌むべき性犯罪として認識が固まってきている。
日本での認識が軽すぎるという問題は、最近特に指摘されているのが目に入るようになった。

未成年への性加害は、本人に知識がついた時に物凄くショックを受け傷つく案件だ。
性的同意についても、本人の理解が薄かったり、少しでも嫌だという気持ちを押さえつけた場合、後々その苦しみにのたうちまわることになる可能性が高い。
自己尊厳に関わる深刻な問題である。

また現実に存在する人物について、実名で加害表現を行ったことも重大な問題だと指摘されている。

しかも名指しされた人物は、立場上個人的に抗議したりする事が難しい。
何も言えないだろうという立場の人物を性的に侮辱し、嫌悪と恐怖を与える事は卑劣な手法である。


この犯罪を揶揄して軽く嘲笑った作品を、オモシロイと捉えるかどうかは個人の資質ではあるし、性犯罪への問題意識のあり方や程度は人それぞれなので、人の感性についてはなかなか本人にさえ修正できるものではない。
しかし、その感性を公言して良いものかどうかという判断が全く付かない、という意識状態は一体どのように形成されているのか、色々と大変興味深い極端なサンプル例を見る機会であった。


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