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10.選択と後悔

しみじみ人生は選択の連続だと思う。たとえば朝起きて、トイレが先か歯磨きが先か。どの服か、どの靴か。小さな選択をしながら進んでいく。重大な局面も、やはり受け入れるか拒むか。たとえ悩んで結論を先送りにしたとしても、いずれなにかしらの道筋を選んで決着する。

時の流れは、人は変化させる。そうなると、かつてとは違う視点で、やってきた選択を評価するようになる。あの選択は、間違っていたのかと、くよくよしてしまうことも多い。いわゆる後悔というやつで、概ね物事が上手くいっていない時に生じる感情だ。

“外出中に寒いと感じたら、上着を着てくるべきだった。”
“こんなに歩くなら、履きなれた靴の方がよかった。”
これは小さな後悔の一例だが、もっと大きな問題であっても、基本的には同じような構造で、変化によって選択ミスに気づいたときに自覚する。
好意的に捉えるなら、後悔は軌道修正のタイミングを知らせる合図。しっかり向き合い分析してみることを勧める。違う選択だった場合の別ルートで、起きたかもしれないストーリー。このシミュレーションは、“これから”に役立つ知恵の引き出しを増やしてくれる。いずれにせよ生きていくと、“選択”と同様に、この“後悔”ってものと付き合っていかなければならない。

どうも後悔をゼロにするってのは、無理っぽい。それでも、なるべくなら大きな後悔はしたくないものだ。やはり重要な選択はしっかり考え慎重にくだしたい。もちろん選択の精度は高い方が判断ミスが起こりにくい。それには判断材料を増してやることが肝心だ。本を読んだり映画を観たり、日常の楽しみの中にも、材料を拾い上げるチャンスは沢山ある。書物にある誰かの人生は、絶好の手本。特に歴史書は、決断と挫折の宝庫。史実からは、現代にも応用が効く多くの事が学べるはずだ。小説やマンガ、映画やテレビドラマなど、娯楽の中にだって有益なヒントは多い。そもそもドラマって、登場人物の紆余曲折が話の軸になっていることが多い。実用性の高い参考書のようなものだ。

気をつけておきたいのは、知識を溜め込むことで安心しちゃわないことね。知識を得ることは満足感が高く、ともすると目的になりやすい。知見を高めることは、多くの視点を持つ最良の方法ではあるが、知識はあくまでも知識でしかない。それらを上手く使って、実感を手に入れる道を模索してほしい。
そもそも本に書いてあることは、誰かがすでに経験し、本になるくらいの成果を挙げた過去のもの。あくまでも自ら行動したことによって手に入れた、いわゆる生きた経験が人生の後半でいろいろと役立ってくれる。参考にすべき先人たちは、自ら創作した人だということを忘れてはならない。

一生懸命やろうが、手を抜こうが、同じように時間は進んでいく。ちょっとした成功や失敗が人生の終点ではない。上がったり下がったり、そういったすべてを楽しんだらいい。
人生は、選択を繰り返し、様々なプロセスを経て、小さな結果のコレクションを積み上げていくようなもの。上手くいくだけじゃ、死に際の走馬灯としちゃ退屈かもしれない。ドラマチックに展開する紆余曲折が、満足感をより高めてくれる。成功を喜び、失敗のリカバリーに苦心する。そういったことを繰り返しながら進んでゆくものだ。結果、自分なりの視点が固まっていくんだろうね。
誰かのようにやったところで、自分に同じ結果が訪れるとは限らない。自分の選択であり、自分の満足や後悔を積み上げること。「生きたなぁ~」という実感は、自分自身の体験でしか得られないものだ。

それにしても、「失敗したなぁ」と気づき、それがとても大きな問題だった場合。その絶望感は、かなりのもんだ。リカバリーだって、また、なにかを選択するという行為。絶望の直後だけに、自分の選択眼を信じられなくなっている状況だ。通り抜けなければ先に進まない。壊れてしまったグラスのように、時間さえ掛ければ元々の形を再現することは出来るだろう。だけど、接合面が作り出す醜い亀裂の痕跡は残ってしまう。すべてを投げ出したくなる気持ちをどう静めていったらいいのか…。
後悔発生のメカニズムから考えると、きっと何を選んでも何かしらの後悔はあるんだろうね。どこかでバッサリ大鉈を振るうしかない。きっと人生にそんなことも起こるだろう。しっかり乗り越えて欲しい。
ホント残念ながら、満足いっぱい~なんてことは希で、常に何かしらの後悔を抱えて生きているのが人間というものかもしれない。

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