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4. 楽しさを追求する生き方

楽しむことを後ろめたく感じる必要はない。
「お行儀良く、大それた望みは持たず、控えめに行動しなさい」とか、まさか今の時代、こんな説教をする大人はいないだろうけれど…。ただ時々、日本的全体主義に凝り固まっている人間もいて、あまりにも無邪気にはしゃいでいると冷や水を浴びせられたりする。世間には、首尾よくいっている人とそうでない人が渾然一体となって生きている。余計な摩擦を生まないために、多少なりとも場の空気なり、人様の心情なりを読める力が必要かもしれないね。

まぁ、それでも僕は好きなことをして愉快に生きていければいいと考えている。アクティブに生きられる時間は、思いのほか短いもんだ。人の顔色を伺っていたら、あっという間に人生は終了。もちろん周囲への配慮は必要だけど、過ぎた自制はあまり良い結果を生まないよね。少なくとも夢想はタブーなし。具現化する段階で、現実や周囲とのギャップを埋めて行けばよい。

“楽しい”は、人それぞれの価値観が決めること。一括りに、こうだと決めてかかることはできない。お笑い番組を見ていたって楽しい。ゲームをクリアしてみるのもいいだろう。映画で感動したり、長編小説を読了する達成感も楽しさのひとつ。たとえば人との関係性にも楽しさはある。「頼られる 喜ばれる 褒められる」これは間違いない。逆に「無視される 疎まれる 貶される」はどう? これでは、ちっとも楽しくない。
楽しいは、自分自身の心で感じるもの。だけど、その発露は外部からの刺激によるところが大きい。音楽を聴く楽しさも、まさに外部からの刺激だよね。しみじみ人は他者との関係性を無視して存在することはできないものだね。自分だけの手柄で自分だけにメリット?それを悪いとまではいわないけれど、心の底から楽しいだろうか。人を出し抜いてメリットを甘受したとしても、どこかスッキリしない感じが残るはずだ。他者、いや、もっと大きく言えば、社会と喜びを分かち合えたなら、楽しさもより大きなものになるんじゃないか。

僕の父は、よくこんなことを言っていた。「やりたいことはなんでもやればいい。自分で決めたのなら何をやってもいい。」大袈裟かもしれないが、人殺し以外は制限なしというニュアンスだった。ただし「やる前に損得を考えろ」と付け加えた。損得? サラッと聞いてしまうと、ずいぶん底の浅い判断基準に思えるかもしれない。でも、これまでを振り返ると、このシンプルなワードに救われた場面が少なからずあったなぁ。人に迷惑をかけて得することはない。漫然と過ごしていると、時間を損してるような気持ちになったりもした。損得という少し殺伐としたワードは、実のところかなり合意的で核心を突いた判断基準のように思える。よほど出来た人物でもない限り、物事を俯瞰して自分自身の気持ちと周囲とのバランスを…なんてことは難しい。特に若い頃なら尚更のこと。そんな時、この損得ってやつは効果的だと思う。覚えておいて損はない。

何か事が起こると社会全体に広がる自粛ムード。多くの人が自発的に感情をコントロールして過ごす。良くも悪くも日本人の得意技かもしれない。これは、ある程度仕方がない。不幸な思いをした多くの人を前にして、のん気に楽しさを謳歌、なんてわけにはいかないもんね。まぁ、それはそうだ。だけど、こうした状況は、さらに社会を萎縮させてしまう。経済活動が停滞してしまったら、不幸な状況に晒されている人達の復興復活も結果的に遅れてしまう。表立って馬鹿騒ぎをする必要はないけれど、個人的には、アクティブな行動を維持する方が望ましい。

いついかなる時も、楽しさを追求する生き方を忘れないでいたいね。

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