見出し画像

2. 普通って何なんだ?

人は、生まれながらにして社会の一員となる。親兄弟は最小の社会。出産を担う医師や助産師は、最初に関わる他人。産着も誰かがどこかで作っている。無自覚ではあっても誰かの力を借りて生活が始まる。たとえ“ひきこもり”になってしまったとしても、誰かが作った服を着て、誰かが作った物を食べる。そしてテレビやインターネットに流れる情報も誰かが発信している。どうあがいても人は、社会と無縁に存在することはできない。常に人との相互関係の中にいる。生き方の模索は、人との関わり方の模索かもしれないね。自分の役割を探す日々を人生っていうのかな。

社会という集団生活では、情報の類は概ね上から下りてくる。親や教師に限らず年長者、経験者などが様々なアドバイスをくれる。そんな中で耳にすることの多い“普通”という概念。たとえば「そんなことは普通しない」とか「普通そんなことは言わない」とか。これなどは、少々疑ってかかった方がいい。普通がいいってのは、それを言ってくる人の感想に過ぎない。「なんだかんだ経験してきたけれど、やっぱり普通が一番だよね~」という具合だ。

あれ?そもそも普通って何なんだ?

その曖昧な概念は“無難”と読み替えることができる。多くの人が、「まぁそんな感じでいいかも…」と反対はしない。これ、逆に言えば「最善最良とは思わないが、まぁ仕方ないか…」ということだ。おそらく管理する側に寄った論理なんだと思う。余計な波風が立たず面倒なことにならなければ、管理する側の負担は軽くなる。
ただ、これをすべてが間違いだともいえない。失敗をしないために、もしくは平穏を求めるならありな考えかもしれない。そのエッセンスを取り入れてみることで、スムーズに流れることもあるだろう。
もし大きな目標を持っているなら、普通という枠からはみ出すことを厭わずにやった方がいい。普通じゃない行動、普通じゃない生き方。“普通”からは希少性、先見性といった価値を生み出すことは難しい。
ともかく何事も決め付けてしまわずに、人の言うことは聞いてみる。その上でどう扱うかは、自分の責任においてやるのがいいね。そう、特に決断は必ず自分の意思で。でないと、失敗したとき誰かのせいにしたくなるでしょ?それはあまりにもお粗末だし、後で自己分析すらできない。せっかくの経験から多くを拾う貪欲さが生きる力を強くするはずだ。

他にも「後悔するぞ~」的なアドバイスは、言ってる人がよほど尊敬できる人でない限り、うんうんと頷いておいてスルーしておけばいい。やってみた結果後悔するってのはドラマのひとつ。自分で考え、やってみたいならやってみる。いろいろなことを体感しながら進んでいくのがいい。
ホント、普通を押し付けてくる感じって、我慢を押し付けてくるのとよく似ているね。まったく何の陰謀だよと、ずっと感じてきた。自分の望みを叶えるために、努力してみようとする気持ちに水を差すことはない。大人としては、よくよく気をつけていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?