囲碁で『わたし』を③
1月13日(金)☔️
3回目の囲碁セッションです。
まだまだ入り口な私。
今回は、ちゃんと聞くこと。
話し方も気をつけることに意識する。
最初は攻める事ばかり考えた。
なので、すぐに完敗😭
私は自分が考えていたところに全て石を置かれ
さぁ『ここから』といった。
じんさんは、『ここから』といった時には
勝ち負けは、きまってたよ‼︎と
『えぇ〜!!!』
『そんな😭』
『何で?』
始まってる時点での○○○の在り方で
もう勝ち負けは決まってると。
確かに、そうだ💦
2回目。
今度は、全く違う事を考えなきゃ。
『うーん。ここにこれを置いたらこうでー』って
色々パターンを考えてるうちに
早く打たなきゃという焦りがまたやってきた。
(前回原因がわかったからOK)
冷静に考えれる。
次は○○点をふやすところを考える。
それだけ見てればいいのに
やっていくうちに
○○点を見なくて相手の石ばかりみてる。
○○点だけ大事にしていけばいいよといってるのに
いつの間にかそれを見てない。
1番大事にしていかなきゃいけないものを
すぐ忘れる。
世の中も1番大事なものが忘れられてる気がする。
私ももれなくその1人になっちゃうんだろうけど、
その大事にしていかなきゃいけないものは
見失わないようにしていきたいな…
2回目は、最初の頃より続いた。
最後はやっぱり負けちゃったけど😭
石置きを振り返ってじんさんが
なんでここにおいたの?の質問に
①ここにうってくるだろう(予想)
②黒が上に行くと動けなくなる。
③余裕のあるところへおく
これがさ、なんでこう答えたのかさえ
私も謎なんですわ💦
上に行くと動けなくなるって
思ってるんだよね。
無意識に、、、
これを深く掘り下げていきたい。
現実で、こんなことあるかな??
自分が身動きとれないのが嫌い。
だれも束縛してないのに、
不自由さを感じる。
同時に息苦しさも感じる。
狭いところが怖い。
首に巻かれるのも怖い。
これは、死ぬことへの恐怖なのかも、、、
幼少期死ぬほど怖い経験したこと
あったかな??
と思った時、私が蓋してた
光景がバァーっと思い出された。
お父さんは、家にいることがあまりない。
お母さんは、生活の為に内職して
仕事してる。その仕事をいただいてる
おじさん、おばさんの家には、子供がいなくて
最初は私たちのことをかわいがってくれてたけど、
その内一緒にお風呂に入り○○虐待にあってたこと。
今は、この怖かった感情は、なくなってるけど、
あの時のことだ!と思い出した。
身動きがとれないことが嫌い
だから、余裕のあるところを選ぶ。
石を置くのには、必ず理由がある。
本当にそう。
普段生活してても違和感とか感じた時、
今日みたいに深掘りして、
一つ一つ作業していくことが大事。
囲碁を通して在り方まで学べるなんて
なんてありがたい環境なんでしょう!!
まずは、実践。
少しずつしか変わらないけど、
その一歩をみてくれて、褒めてくれる仲間がいる
『ありがとう』
そんな感謝の心が湧いてきた私でした♡
最後まで読んでいただきありがとうございました😊