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グレーが美しい

2月の話


 実家に3日間の帰省。3日以上滞在することはほぼない。マジでやることがないし、あの頃の自分に引き戻されてしまうような気持ちになる

やることがないので人の噂話や悪口ばかり雰囲気だけが娯楽、出る杭は打たれるし、人の個性を認める前に共同体として生きていくための型ハメ
最悪だったけど、私もその最悪の一部で

はまらない者は除外したがるTHEな田舎バイブスに18までの私は打ちひしがられていたし、知らない大切なものをいくつも無くしていたと思う
今でも型にハマることが極端に苦手なので社会人になれない

正直こんな町、滅亡した方が世のためだくらいにマジで思っていたのに 両親が高円寺に遊びにきたあの日から、両親との関係も、あの忌まわしい町への気持ちも少しずつ変化している
酒に酔った父が私に絶対言わないことをみーちゃんに言った、「してやれなかったことを友達がしてくれていることを感謝している」 
泣いてた
簡単に今までのことが許せてしまった
あの暴力も言葉も許せてしまった 愛だと思う


 地元のスナックに遊びにいくと必ず知ってる顔ぶれがごろついている(小中高同じ同級生も山ほどいるし、狭い町なので本当にほとんどが知り合い)
あの頃から時が止まったまま
のように思えて少しずつなにかが変わっている
ゆっくり流れるあそこでだけの時間、セピアであたたかくて、何かが怖くて少し好きだ

記憶がスルスルと蘇る

10代の頃の私たちは全てに苛ついていたので喧嘩→仲直りを繰り返しすぎてマジヤバ中学生だった。
見たことない角度と薄さの眉毛だった久々に会うあの子の眉毛は 山という山が削れていた
でも薄さは変わらないのが元ヤンって感じで可愛い。
茶色い優しい眉になっていた。看護師になった。


みんなはしっかり働いて親孝行して、わたしといったらなんだ、本当に情けないと思ってしまった 情けないと思うことが情けなかった

 なんであんなに海にばかり行っていたのか、大きすぎる海はいとも簡単に思春期15の心をこじ開けるからと納得した
謎行事(だと思っていた)古新聞収集を一人サボって行った海は、小さな反抗のかがやきと相まって忘れられない ひとりの海はいつでも大好きだ

 東京 金のない友達たちに囲まれたわたしはぬるいお茶割りと幸せと隣り合わせすごく満足している
みんな金がないのに、ステージ照明に照らされる姿と生き方がほんとうにかっこいいから
わたしは友達たちのことを情けないと思ったことがない
わたしは、本当に情けないやつだけど、Carpenter'sBlueであることに誇りを持ってるからまた小走りで始めたい
情けなさを灯油にかえろ

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