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1025年2月 ある寒い日のこと

一、

焔はふすまを開けると「さっむ」と呟き震えあがる。はーっと息を吐くと息が白くなり、身を縮こませて上着を慌てて羽織りなおした。

トントントンと夕餉の支度をしている炊事場からの音が遠く聞こえてくるくらいであたりは静かだ。

今月に入って本格的に雪が降り積もってきた。
雪は音を吸収するから、積もると世界は静かになるのよおと、母が言っていたなあとふと思い出す。
そのまま灰色の空を見上げる。

ちょうど1年前の今頃、自分はこの家にやってきた。あの時も雪がたくさん降っていて、すぐ上の姉たち、双子の暁と茜と3人で雪遊びではしゃいでいた。

共に遊んでいた庭を廊下から見下ろす。あの時の自分たちがそこで遊んでいるように思えて小さく笑う。そして同時に今自分がいる場所は、1年前母が座っていた場所であったことも思い出す。

ここは庭がよく見渡せる縁側。居間からも続いていて、家族たちの息遣いや生活音がよく感じることができる場所。母はよくここに座っていて、自分の初陣の戦装束に背守りを繕っていた。
寒い中だが同じ場所にしゃがみ、そこから降り積もる雪をぼーっと眺める。

もう母も、芯隆も巽巳もいない。今月に入り双子の身体の調子が悪くなった。
2人はもう1歳6ヶ月。茜は今月交神に行っているが、おそらく子の顔を見ることは叶わないだろう。
焔はため息をつく。白いもやが自分の周囲にたちこめて、空気に溶けて行った。

(色々と…うまく行かないなあ…。駄目だなあ…オレって…こんなんで、暁さんと茜さんまでいなくなったら…やっていけるんだろうか…)

寒くて両手を擦り合わせる。左手の中指にはめた銀色の当主の指輪が鈍く輝いたように感じたその時、トタトタトタと足音が聞こえてくる。
先月来訪したばかりの暁の息子、真砂だ。小さな身体で大きな火鉢を抱えており、焔は思わず目を瞬いた。火鉢の影から顔を出し、呆けてこちらを見上げている焔の顔を見ると怪訝な表情をする。

「おい、通りにくい。どいてくれないか」
「え?あ、ごめん、というか、なんだよその火鉢」
「今年の灰の取り換えをし忘れていたらしいから、灰を全て交換してきたんだ」
「ええ、全部か??」
「ダメなのか?」
「いや、肥料にもなるしダメじゃないけど…。少しずつ……まあいいや、オレが持ってくよ」
重たいだろーと、ヒョイと取られてしまい、真砂が憤慨する。
「それくらい持てる!返せ!」
「まーまーこれくらいで怒るなって。ってか、炭と熾火は?部屋にあるのか?」
「炭はいくつか部屋にある。熾火は…そこに入れて持っていこうとしたらイツ花に怒られてしまった」
別に少しくらい熱くても平気なのにとむくれた表情をする真砂に、焔はおかしくなって小さく噴き出す。イツ花も大変だったろうに、と心の中で同情してしまった。

「いや、いくらオレたちが多少頑丈でも、火傷くらいするだろう。オレがこれ持っていってやるから、イツ花に熾火もらってこいよ」
他にも熾火は専用の入れ物があるんだぞー云々と世話を焼こうと色々と話す焔に、真砂は面白くなさそうに苦々しそうに唇を引き結ぶ。
「お節介な奴…」
「はーいはいはい、子供は大人の好意を素直に聞いとくが吉だぞ~」
そのまま真砂を置いて一路、双子とこの生意気少年の部屋に向かおうと方向転換する。慌てて少年は火鉢を取り返そうとしているのか、足早に追いかけてきた。
「…っ!待て!お前だって、子供じゃないか!」
「なにおう!オレはもう1歳だぞ」
「………………ええ??」
「…ちょ、そのまじな反応、逆に傷つくんだが…」

本気で驚いている真砂の表情を見て、さらに胸がチクリとしたが、やれやれとため息をつく焔。わかったからとにかく熾火持ってこいよーと言いながら火鉢を抱え直してその場をあとにした。

残された真砂は呆けながら自分の両手を見ていた。ひとつ、ふたつと指折りしている。数を数えているのか全ての指が折られ、左手の小指をピンと開き「じゅういち…」と呟く。
自分が今1ヵ月で、焔は1歳。月齢の差を数えていたようだ。

「…ほとんど1年じゃないか…」

小さくぼやいた少年の言葉は白い息と共に消える。手を開き自分の頬を叩くと小気味良い音が辺りに響く。
真砂はイツ花がいる炊事場へと引き返した。


二、

部屋の前に着いて、ひと声かけてから焔は足でふすまを開ける。
中では暁が布団から身を起こした状態で男大筒士の戦装束を繕っていた。
「行儀悪いぞ…焔…」
飽きれている暁の声をよそに焔が火鉢をよっとっとと持って彼女の近くに置く。

「息子さんがこれを抱えてふらふら~っとしてたんでお節介を焼きました」
「…そうか、すまないな。火鉢の管理を今年は怠ってしまってな」

手元の針と糸を膝上に一旦置いて、肩からずり落ちた厚手の上着を羽織りなおす。
火鉢がなかった部屋はそれなりに底冷えしていた。これは確かに真砂がなんとかしようと躍起になるかもしれない。
しかし、ふと焔は思った。だいたい部屋に火鉢は一つで、この部屋で火鉢の近くで火箸をザクザク動かしていたのはもう1人の住人だったはず。

「そもそも、暁さん火鉢使ってましたっけ?この部屋のはどちらかと言えば茜さんが使ってたんじゃ…」
「としでな。どうも手足が冷えやすくなってしまったから今年は私も厄介になっている。」
手をさすりながら、さらりと自分のことを言う暁を焔は内心複雑に見つめる。
こんなにこの人は小さな人だったろうか?とその背を見下ろしていると胸の中がざわざわした。
不安を消すかのように首を振って暁に声をかけようとした途端、ふすまの向こう側から「母上、入ります」と声をかけられる。

丁寧に座って両手でふすまを開ける真砂だった。彼は部屋の中にいる焔を見ると憮然とした表情になる。
そのままの顔で熾火になった炭を入れた炭斗を持ち上げ、火鉢の近くに来た。
暁から火箸を渡されとたんに表情が晴れやかになるもんだから分かりやすくて苦笑いしてしまう。
真砂は鼻息荒く意気込んで、熾火をただ灰の上に置こうとする。
危なっかしく稚拙な手つきに焔は見かねて声をかけた。

「真ん中に穴を掘って、先にこっちにある火ぃついてない炭を入れるんだ」
「…………分かった…」
「あ゛ーつめこみすぎだって、箸よこせ、やるから見てろ」

ザクザクと解説しながら炭を設置する焔とそれをなんだかんだと文句を言いながらもちゃんと聞いている真砂。
そんな2人の光景を微笑ましく見つめながら、暁は残り少しの縫い付けをする。
少しずつ部屋も温まってきて、指も動きやすくなってきたようで、焔は途中で暁の手つきの滑らかさに感心していたが、
真砂に「こっちむけ、おしえろ」ともみあげを引っ張られてしまう。てんやわんやな脱線がありつつも、暖房として機能する立派な火鉢が出来上がった。

「うん、できた。まあこんなもんだろ」

パチパチと優しい音が部屋の中に響き渡る。
熾火が赤く光り、手をかざすと温かく思わずため息がでてしまう真砂。
しかし思ったより準備に時間がかかってしまった。

「…けっこう手間だな…炭は術で燃やしたらダメなのか?」
いちいち熾火を取りにいくのは面倒じゃないか?と憮然と言う真砂に小さく笑う焔。
「炭を術で熾火にするのは意外と難しいぞ?繊細だからな。単純に燃やすだけじゃなくて、色々と調整が必要だ。そこの炭、多分まだお前はバラバラの灰にしちゃうと思うぞ。」
「お前はできるのか?」
「まあな!こう見えて1歳ですので」
またしても月齢を言われて、真砂は唇を引き結ぶが好奇心が勝り備蓄の炭を指さす。

「やってみせてくれ」
「だーめ。というか、術をあまり討伐や鬼相手以外で多用することはよくないんだぞ。オレたちは一応、人、なんだからな。それに、こういう手間なことがオツなんじゃないか」
「……じじくさい…」
「はーいはい、もうなんとでも言ってくれー」

弟分と息子の言葉のやり取りを聞きながら暁は心の内で何度も笑う。
真砂は母である自分以外の家族とは、来訪からひと月経ったが積極的に会話をしようとしてこなかった。自分や茜のことは「母上」「叔母上」と呼んではいるが、他の焔、右京、虎介のことは、未だ名前で呼ぼうとしないのだ。そんな経過を見てきたので、この2人のやり取りを見て、正直驚いている。
てっきり思慮深い右京あたりに懐くかと思っていたが、なんだかんだと自分も今までよくあぶれもん同士で会話を重ねてきた焔と波長が合うのだろうか。
きっとこれからも、真砂は私と同じようになんだかんだとこの当主を知ろうとするのだろうな、と遠くない未来を感じ胸が温かくなるのを感じた。

「真砂、それに焔。ありがとう。おかげで温かいぞ」
「…はい母上。なんでしたらもうひとつ火鉢持ってきます!」
「…っふっ。いや、ひとつでいい」

意気込んで真砂が少々見当違いなことを言うが、暁はそれがおかしくて小さく噴き出すのを我慢できなかった。悪かったと苦笑いしながら謝りつつ、玉止めした糸を丁寧に切る。

「できたぞ…」

母に手招きされて真砂は隣に座る。手元の大筒士の戦装束を広げて息子に合わせた。
背守りだけでなく、仕立てから暁はやったようで針箱の周辺には型紙のようなものがあった。
焔は自分の母とは違う器用さに素直に感心した。

「…うむ…少し大きめだが、お前は手足が大きいからすぐにちょうどよくなる。そこの当主の背もじきに追い抜けるだろう」
聞き捨てならない姉からの言葉に呆けていた焔はズルッとよろけてしまいそうになってしまうが踏みとどまる。
「暁さん。言っときますけどね、オレだって手足はそこそこ大きいんですよー?」
ほーら大きいーと自分の手足を2人に見せびらかす。真砂は自分の手足と遠目になんとなく比較して「ふむ…」と考え込む。

「背は伸びなかったんだな…そうか。俺は同じ轍は踏まないように努力します、母上」
「うむ、良い心がけだ。牛の乳をよく飲むのだぞ」
「こころえました」
「わーもうどこから突っ込んでよいのやら…」

火と換気、気を付けて下さいね~と言って母子水入らずの部屋から出て行こうとすると、クンッと後ろから引っ張られる。
振り返ると真砂が焔の着物を掴んでいた。少々ばつが悪そうな表情で。
自分でも咄嗟に取った行動らしく、慌てている様子だった。

「なんだ?まだ何か気になることでもあったか??」
「………いや、その…………色々と、教えてくれて、あ、ありがとう………焔…」

どんどん消え入りそうな言葉になっていき、最後の「タスカッタ」という台詞は蚊の鳴くような声だった。
色白な頬が桃色に染まっていくのを見て、さらに意外すぎて呆然としてしまう。

「………お、おお。いや、ドウイタシマシテ…」

何故かカタコトなしゃべり方な2人がとても愉快でまたしても噴き出しそうになるのを咳払いで抑え、暁は火鉢に網を置き、おもむろに餅を取り出した。

「礼だ。食べていけ」

小腹が空いてきたところだったので、思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう焔だったが、いやでも真砂はオレがいると面白くないかもしれない、と思いチラリと横を見る。
焔のそのぎこちないこちらを伺う様子を見て真砂は仏頂面になる。先程の桃色はどこ吹く風である。

「なんで俺をいちいち見るんだ……。母上がいいって言ったんだ。いればいい。…それでその辛気臭い顔を何とかすればいいんじゃないのか?」
「お前けっこう言いたいことズケズケ言うのな…」

もしかしてさっき、縁側で凹んでいたのを見られたのだろうか。

こんな年少な子にまで気を使われてばかりで情けない、とまた暗い淵に気持ちが沈んでしまいそうになったその時、真砂がズイッと眼前に皿と箸を突き出してきた。

食器まで備蓄していたのか、この部屋は、となんだか飽きれてしまった。
気が抜けて、自然に表情が緩む。あったかいなあ、と和んでへらっと笑う。

すると目の前の真砂がみるみるうちにまたしても桃色に染まっていった。
自分のしてる行動が今更恥ずかしくなってきたのだろうか??

「どうした?真砂、顔と耳が桃色だぞ」
「し、知らん!寄るな!見るな!皿をとれ!」
不思議そうに近寄るとどんどん後ずさる真砂。

(ブスッとしていたかと思えば突然素直になったり怒ったりで忙しい奴だなー)

皿と箸を受け取って、まあいいやと火鉢の餅に向かおうとするが、焔は「あ!」と大きな声を突然出した。後ろで驚いて真砂は内心飛び上がった。

「真砂!」
「な、なんだ」

「名前!焔って初めて呼んでくれたな。なんか嬉しかったぞ!」

ありがとな~と、トドメにほんわりと笑いかけられてしまい、真砂の顔が「しまった!」と言わんばかりに口を手で覆い、青くなったかと思えば、次は耳が桃色から朱色に染まっていった。

「やっぱりでていけ!」
「えええ?なんかオレやったか??」

膨れ上がった餅が香ばしく焼き上がる。
そのあとの夕餉の時間。間食を取りすぎたことがイツ花にバレてしまい、
焔と真砂は怒られたのは別の話である。

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