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待雪草
1019年11月、朱点閣前――
朱点閣と崖を繋ぐ大橋にて石猿田衛門を辛くも倒し、禍々しいその建物の門が開くのを見た。
肩で息をしながら討伐隊長の啓真は、その門の奥から不気味な気配を感じる。
この先に、奥に、朱点がいる。
その腹の中にアイツがいるのを俺たちは知っている。
家には今月寿命を迎える最愛の姉がいる。
強い人だった。養子としてうちに来て、自分たちがまだ得ていない術も使いこなし、ブンブン刀で鬼を薙ぎ払う姿はどこか恐ろしく、美しい人。けれどその紺碧の瞳はどこか悲しみに満ちていて、もっと笑って欲しくて、俺はよくくっついてまわっていた。金魚のフンってよく罵られていたっけ。
けど、そんな彼女も呪いには勝てない。出発前に気丈にも玄関前まで出て見送ってくれたけど、なんだか小さく感じてしまい、驚いた。
うまく言葉が出ないでいると、胸を小突かれ、娘たちを頼むわよ!隊長さん!と喝を入れられる。
「余計なことは考えないで、やるだけやったら、さっさと帰ってきなさいよ。アンタも来月には父親になるんだから、ちゃんとこの先のこと見てもらわないと困るんだからね!」
彼女の出陣前の言葉が頭によぎり、ふっと笑みがこぼれる。
(わかってるよ…姉ちゃん…)
ここで倒しても道がいきなり険しくなるだけ――
「にいさん、帽子」
「……ん?ああ、すまん阿高、落ちてたか」
兄の忘れ形見、阿高が帽子についた雪をぽんぽんはたいて「ん」と差し出してきた。その手が震えているのを気付かないふりをして受け取る。
啓真は帽子をかぶり直すと振り返り、年下の家族を見つめ「まだ温存の時期だあな」と軽く言って下山を促す。隣で阿高が息を飲む音も聞こえたが、肩をすくめてうすら笑いを返す。兄によく似た表情が歪みコクリと頷いた。
姉の娘2人が何か言いたげにこちらを見つめていた。薙刀士の沙那と槍使いの更砂の二人姉妹。姉の凛とした強い部分を継いだのが沙那で、感じやすくて考えすぎてしまう部分を継いだのが更砂。更砂は今にも泣きだしそうで、その大きな瞳から、少しでもつっついて刺激を与えたら雫が零れ落ちそうなくらいだった。「やれやれ」と息を吐きその頭を優しく撫でると案の定決壊し、ぽたぽたと雫が雪の上に落ちていった。
号泣する姪っ子の頭を撫でながら、朱点閣を見上げる。
もし、黄川人の正体を知らなかったら、俺はどうしていたのだろう…。
寿命である姉が助かるかもしれない、と一縷の望みを持って、あの入口をくぐっていたのかもしれない。その先があることを知らなかったら、ここで終わりと信じていたら…。
ありえたかもしれない未来に想いを馳せるも啓真は首を振った。
来たるべき苦境の時に備えるためにはまだ時期早々。
兄ちゃんにも母ちゃんにも言われたじゃないか。まだ駄目なんだ。
でも、自分たちはそれを知っているから、まだよかったのだ。
きっとそうなのだ…。そう思わないと軸がどこか保てない気がした。
きっとこれが最良の道なんだ。
「まだ日にちに余裕はあるが、その分はやく帰ろうな。母ちゃんきっと喜ぶぞ」
ぽん、と姪っ子たちの背中を押して家路へと促した。
曇天の空からはらはらと白い花が降り積もる。
踏みしめる雪の音とそれぞれの吐く息の音だけが響いていた。
あの門の向こう側、鏡を割った世界はそんなに苦境な世界なのだろうか。
姉は昔、言いずらそうに「色のない世界だった」と言っていた。
今自分たちがいる大江山も白い世界で、こんな感じなんだろうかと考える。
ふと、啓真は思った。
(俺…本音は、鏡、割ってみたかったかもしれない…)
姉が元の家で見たという絶望を、色のない世界を自分も知って、
その重荷を苦しみを分かち合いたかったのかもしれない……。
姉ちゃんにとっての『唯一』に近付きたかったのかもしれない。絶望を共に乗り越えることだってできたかもしれない…。そうしたら――――。
自嘲気味に笑って、手で顔を覆う。
「大概、俺って重たい奴なのな…」
ひくわーと自分で続けて言いながら、白い息を吐く。
見渡す限りの白の世界にそれは溶け合っていった。
そういえば姉も白い花が好きだったなあ…と思い出す。
色のない世界で苦い思いをしたのに、白が好きとか良く分からない人だ。
鼻の奥がツンとなるのに気が付かないふりをして、啓真は来た時に自分たちがつけた足跡を踏みしめた。
いいんだ。これで。
これで姉ちゃんは家族に囲まれて温もりのある色の中で死ねるのだから…。
1020年1月—―――
降りしきる雪に身震いして、黄金色の髪の少女が戸を閉める。
その手には当主の指輪が光っていた。
部屋の中に戻ると苦しそうに床に横たわる男が1人と、
それを囲うようにいる家族たち。
床から身を起こせずにいるも、男——啓真はこちらをずっと見ており、残念そうな声色で抗議されてしまう。
「戸、閉めないでくれよ、沙那」
「でも、おじさま…お加減が悪いのに…」
「いいんだよ。白い世界が見たいんだ」
叔父にそう言われてしまうと仕方ない、と溜息をつきながら沙那と呼ばれた少女はしぶしぶと少しだけ開ける。途端に冷気が部屋へと再び入ってきて啓真の息子・甲斐が父の布団に思わず手足を差し込もうとして、残り2人の家族――妹と更砂と叔父の阿高にこら、と止められていた。
「積もるかなあ…これ…」
阿高が若干ぼやくように呟く。
誰も答えることなく、ただただ外の景色を見ていた。
しんしんと積もる雪に2か月前の大江山を思い起こす面々。
帰宅すると母は今の叔父のように床から離れることができないでいた。
無事に帰ってきた私たちを温かく労ってくれた。
母は色々なことを前いた家で見てきた。その後悔や恨みをこの家でぶちまけってしまったことを、なかったことにしたいとか言い出した時もあったけど、最後には私たちの意を汲んでくれた。そして謝ってくれた。
『みんな 自分の好きな方へ向かって歩いて行けばいいのよ。
どの道も間違ってないわ』
母のどこか切なげだけど温かい最期の言葉。
その言葉と共に、母は私に指輪をつけた手を差し出して笑って頷いた。
その指輪は今この手に納まっている。
沙那は自分の手にはまった銀の輪をもう片方の手でなぞった。
(母さん、あなたのことが大好きな人がここにいるよ)
叔父の母への想いは何となく察していた。
けれど母は叔父のそんな気持ちに全く気付くことなく逝ってしまった。
彼はそれでもいいと思ってるようだったけど、思いのほか置いていかれたのがこたえたのか、母を追うように年明けに倒れてしまった。
叔父の母への想いが、少しでも天で届きますように、と沙那は願ってやまない。
戸の隙間から見える白の世界を見て、啓真がふと声をもらす。
「花…、しろい、はな…」
「え?おじさま、なんて?」
「まっしろいやつ…。あの花の名は、何ていったっけ?なぜ思い出せないんだろ?1番好きな花なのになあ…」
沙那の脳裏にふと白い花が浮かんだ。見たこともないのに、母が好きな花だ、と分かった。雪の中に咲く、真白い花。小さな母がそれを見つけてしゃがんでいた。知らない家族と微笑みあいながら。
「おじさま!」
「父ちゃん!」
妹と弟分の悲し気な声で沙那はハッとなる。
白昼夢にしては妙に鮮明なものだった。
右手に納まった指輪が妙に鈍く光っているのを目視し、沙那はもしかしてこれは当主の――母の記憶を指輪が教えてくれたのかもしれないと本能的に理解する。
間に合うか分からないが、沙那は啓真の手を握って指輪に触れさせる。
「おじさま……見える?あの花の名前はね―――」
待雪草(スノードロップ):花言葉『希望』『慰め』『あなたの死を望みます』
katerinavulcovaによるPixabayからの画像を使用しました。
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