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ピクセルアーティスト mae × 美術評論家 gnck による対談 @ Miaki Gallery【後編】〜アーティストがアスリート化する中でも、喪失しない軸を持ちたい〜

gnck:絵画において「厚み」というのは、繊細に扱わないと、強力に意味を持ってくるものになりますよね。アクリルの裏側に印刷してレイヤーを作ったことで、画面と対峙した時に、真っ先に目に飛び込んできた箇所がありました。そこは絵の構図の中でも、相当な重みを持った要素としてあらわれてきた。「厚み」を要素として扱い始めると、単なるピクセルアートの画面上の操作から一歩進んだ物体として、まだまだ色々できそうな可能性を感じました。

mae:デジタル作品の見せ方については、僕もすごく悩むところで、答えがないとは思うんですけど。形に落とし込むと、落とし込んだ先での問題が出てきたりするので、面白いなとは思いつつ。

gnck:やはりデジタル画像の経験というのは、一人ひとりが普段はプライベートなデバイスで見ている、出会っているっというのが、とても大きいんだろうなと思います。個人のパソコンなり、今ならスマートフォンやタブレット。

対して展示という形式 は結構公共的なものですよね。会場には他の人がいたり、自分と作品の間にも一定の距離感があったりと、ちょっとフォーマルな感じです。鑑賞者の心の中では、色々なプライベートな気持ちがあるにせよ、空間としてはある種のフォーマルさが存在している。

特にデジタルアートは、プライベートなデバイスで経験していたことを、フォーマルな展示という形に翻訳するので、超えなければいけないハードルがある。「プライベートだからこその良さ」みたいなものが、もしかしたら、スポイルされてしまうかもしれない。

mae:そうですね。一方で、作品をデジタルのまま取引する上での、鑑賞方法の難しさも感じていて。僕は、自分の作品をNFTで販売していますが、作品を買った経験もあるんです。ただ、その作品が今どうなっているかというと、日頃見る機会はそこまでない。購入した作品は、ウォレットの中に画像として入っていて、中にはそれをプロフィールにしている方もいますけど、その方も見ているのは1作品のみで、他の作品はしまわれている。

また、良くも悪くも、その人が持ってるデバイスのサイズにもよる部分があるので、今回、出力してみたのは、やっぱりこういうサイズで見てもらいたいとか、こういう風に見てもらいたいというような、表現ではあったのかなと思いますね。

gnck:NFTそのものは、版画や写真にエディションをつけて、作品としての価値を担保してきたように、ブロックチェーンで台帳化することで、デジタルアートの価値にコミットメントした一つの方法だと思います。

NFTアートにはマーケットが常に存在していて、価格や取引情報が公開情報として出てくるので、需要と供給はオープンになっているのかなとは思いますが、価格については、私はあまり関心がない。それ以上に、誰かの作品がすごくいいなと感じられて、他の作り手に影響を与えたり、心を動かされて絵を描き始めましたとか、そういうところが作品の本来的な価値だろうなと。それをどう文脈化して、残していくかが、評論家としては関心があるところだったりします。

mae:NFTを始めて良かったのは、世界中のアーティストと同じところに作品が集められて、その中で、評価されてるものって何なんだろう、というのは結構シビアに見える。もちろん自分としても、価格で作品を見てるつもりはないんですけど。例えば、自分がなかなか伸びなかったりすると、何が違うのかが、結構フラットに同じ土俵で見れるので、そこでの戦いというか、自分の作品を違う視点で見れたのは、良かったと思いますね。

gnck:インターネットが登場して以降、例えばデジタルで描いているイラストレーターも、すごく「アスリート化」したように思うんですよね。閲覧数やいいね数、点数とかランキングとか。リアクションがダイレクトで、かつ指標があることで、「傾向と対策」がしやすくなった。結果、アスリート化してますよね。タイムアタックみたいな。

mae:そうですね。まさにいいね数とかのタイムアタックを、無意識にそれぞれがやってるんじゃないか、ってところがあって。一方で、やっぱり最初に「いいね」が1つ付いた、嬉しかった時の感覚を忘れないようにしたい。無意識に流れていくと、タイムアタックになっちゃうところを、無理やり引き戻そうと戦っている。もう数字に感謝するのはやめようって、言い聞かせてるときはありますね。

gnck:アスリート化したことによって、ある種の成長速度みたいなものは爆速になって、テクニック的にはみんなめちゃくちゃうまいなとは思うんですけど。一方で、それが豊かなのかどうか、考える必要がありますよね。

mae:もうそれこそいろんな数字を獲得して、みんなに見られてる世界最高峰の絵に、開いた瞬間対峙しちゃうところは、よくも悪くもあって。でも苦しみながら、それを自分の絵の横に並べて描いてみたりとか。それもでも、言われてみればアスリート的に鍛錬してたな、とは思いますね。

数字が伸び続ければ、モチベーションにしやすいのかもしれないですけど、それが伸び悩んだときに、本当に大事にするべきものって何だったっけ、みたいな喪失状態になるんじゃないかという、危機感もあります。じゃあ喪失しないために、自分の中の何を軸にするかといったら、やっぱり手法なので。表現の核というか柱みたいなものを、持つべき、持ちたいと僕自身は思っていて、色々展示の機会をいただいて、外でやっているようなところはあります。

難しいのは、出力自体はデータがあればできるけど、そうじゃない方法で、自分でペインティングしたり、タイルを並べたり、物にするためにいきなり、これまでやってないことをして、そこだけ素人感が目立つ仕様になってもしょうがない。自分はずっとピクセルをパソコン上で描いてきた、物に替わるものをデジタルの中で作ってきたので、元々の素材にデジタルデータを使うのは、こだわりたいところでもあるんですよね。

gnck:ドッド絵はデジタル画像なので、出力はしやすいですよね。拡大したいときも、入稿すればできるし、UVプリントとか、まだまだ可能性はありそうに見える。印刷は印刷で、奥深い世界があるので。

mae:僕は今回文脈として、ピクセルというものに、記憶が薄れながらも部分的に残っている、という性質を重ねて考えてみたんですけど、どう思いますか。

gnck:スケッチをするときの取捨選択の話がありましたが、何かを見て認識したときにも、既に作者のフィルターがかかりますよね。その場でスケッチするのではなく、持って帰って思い出しながら描く時点でも、相当再構成されているのではないかと思うんですよね。さらに、ドットにするところでも、さらなる抽象化、というか、再構成していくのかなと。例えば、白黒の線で描くことと、ピクセルでポチポチ打つことは、maeさんの中でどういう違いがあるのでしょうか。

mae:線で描くときは、その時に浮かんでいる印象が逃げないうちに、サーっと全体像を描くんですけど、表現したい質感は、それに着彩するんじゃなくて、やっぱり素材としてピクセルを使って、後からゆっくり、その1個ずつのドットと向き合って積み上げていく。自分のなんとなくだった記憶を掘り出しながら、進めていくというプロセスですね。

gnck:なんかドットをポチポチ打ってるときに、もう一度記憶をなぞり直すというか、味わい直すというか、そういうことがあるんだろうなと想像します。それを記憶と呼ぶべきか、把握といった方がいいのかは、どうでしょう。「記憶」というキーワードを使ってはいるけれども、自分自身でもう一度捉え直すために描き直していて、「記憶するために描いている」ということではないのかなという気は、なんとなくしますね。

低解像度のピクセルアートには、ある種のノスタルジーと結びつくような感触はありますが、記憶という言葉ではない方が、もしかしたら適切なのかもしれないという感じがします。

mae:僕の言う「記憶」の意味としては、自分の中に、印象としていつまでも残っているものを引っ張り出すような、形で記憶するためというか、記憶されてるものを読んで描く、みたいなところがあると思っていて。

一度見て感動したものだけではなく、人によっては通学路とか、実家近くのよく通った道とか、何回も何回も繰り返しすりこまれて、潜在意識というか、ノスタルジーを構成しているものがあると思っています。ある意味僕は、自分の中のそういった部分を自覚した時に、作品として呼び起こして、描きたくなるのかなと。

この絵なんかも、実家の近くにある、子供の頃から何度も通っている道なんですよね。それを、今更描くという行為については、今だからこそ、何度も見てきた僕だからこそ感じる、温かみとか。変わらず今も残っている、昔との対比があるから見えてくる色彩というか、美しさみたいなもの。それを残せるのも、僕しかいないのかもしれないな、というところで描いていますね。

gnck:それが、例えば写真であるとか、絵の具で描いた絵ではなくて、ドット絵として描かれるというところが、おそらくその時の感情の質と、メディアとしての性質がよく合ていたというところでしょうか?

text by Yae Kawano

mae個展「歳月の懐像」@Miaki Gallery 2023.12

<前編はこちら>


対談ノーカット版は下記のリンクよりご視聴ください。(YouTube)

【gnck(美術評論家)× mae(ピクセルアーティスト)】(前編):デジタルか?物質か?絵が呼吸しているような感覚の表現を探る。(音声のみ)

【gnck(美術評論家)× mae(ピクセルアーティスト)】(後編):デジタルか?物質か?絵が呼吸しているような感覚の表現を探る。(音声のみ)


mae
1993年、神奈川県出身。横浜市で4年間小学校教諭としての経験を経た後、2020年4月からピクセルアーティストとしての活動を開始。ドット絵を用いた映像作品やループGIFアニメーションで、有名音楽アーティストのMV、CM等を手がけて注目を集める。

gnck
じーえぬしーけい 評論家、美術批評。キャラ・画像・インタネット研究。「画像の演算性の美学」を軸に、ウェブイラストから現代美術まで研究する。美術手帖第15回芸術評論募集第一席。論考に「電子のメディウムの時代」ほか。