つくるつくられる

noteを更新しよう、更新しようと思って色々書いてたら慣れてなくて何度も間違って下書きを消してしまった、そんな一週間でした。めげずに書きます。

私は高校2年生の夏、初めて人に写真を撮ってもらった。

写真を撮ってもらう時、無条件に褒められることが多かった。嬉しかった。
他にやる事、やりたい事がなかったということもあってその時期はいろんな人に写真を撮ってもらった。

でもいつからだろう、撮られることがつまらなくなってしまった。

私はいつも内側に棘を隠し持っている。
私の内側に土足で入り込もうとしてくる人間が現れた時、その棘は外に飛び出す。

あなたってこういう人でしょ?あなたの良さ全部写してあげるよ!とカメラ越しで言われてるような気持ちになる事が何度かあった。私はそれがたまらなく嫌だった。

そう感じた人の写真の私は、どれもつまらない顔をしている。なんていうか、嘘っぽい顔。

そんな気持ちになってから、私は写真に写ることから少しずつ離れるようになった。

でもやっぱり私は写真が好きで、この人に撮ってもらいたい!と思う人にだけ時々声をかけたり、自分自身で自分をたくさん撮るようになった。


世に出していない、家で撮った自分の写真は何枚もある。SNSに、全部出してしまうのは少し勿体無い気がして。

最近は、すごく自分以外の人間を撮りたいと思うようになった。

初めてあった人2.3時間でパッと撮るのではなく。たくさん話をして、遊んで。じっくりと一人の人間の写真を撮ってみたい。

その子の内側を撮りたい!とかそんな事を私は思わない。というか思えない。
ただただ私が好きなその子の瞬間をカメラに残してみたい。そんな風に思う。

知識や経験が浅い私が言うのもなんだが
撮られる側、撮られる側。
よい写真を撮るには心地の良い距離感、対等でいる事が大切な気がする。

撮る側撮られる側、つくる側つくられる側。
境界線を引く事をしてはいけない。距離感を保つ事とそれは全くの別物だ。

その事はどんな事にだって共通する。

全部わかったような顔しないでね、
私の内側は、私しか知らない。
あなたの内側も、あなたにしか見えない。