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気持ちがドン底の時に食べたかったものは「サッポロ一番塩ラーメン」だった


なにか切羽詰まったとき、
どうやらわたしは『サッポロ一番塩ラーメン』を欲するようだ。


きっかけは、

頑張っても、
努力しても、
時間をかけても叶わなかったこと。

6年前の不妊治療だ。


(※ここからは、
不妊治療の話や血を連想する内容なので、
苦手な人は見ないでください〜)




わたしは6年前、
静かに怒り狂った夫を初めて見た。
「涙が流れる5秒前」っという瞬間も初めて。


これは、不妊治療をしなかったら見れなかった光景。


1回目は28歳の時に半年、
2回目は31歳の時から1年半、
トータル2年ほど治療した。



冒頭の光景を目にしたのは、2回目の時のある日。
体外受精のため卵子を採取しに病院に行った時だ。

この日は午前中に採取して、
少し休んだ後、お昼過ぎに帰る計画。

夫も有給を使って病院に付き添ってくれていた。


採卵の翌日は、夫婦で初めて劇団四季を観に行く予定。

道中はその話で持ちきりだった。


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しかし、家に帰れたのはお昼過ぎではなく、
15日後


どうやら卵巣を刺激したことで出血が止まらず、
採卵が終わった途端意識を失ったもよう。


目を開けた瞬間飛び込んできたのは、
いつも温和な夫が静かに怒り狂っている姿だった。


卵子が1つ取れたけどダメだったこと。
わたしの卵巣の血管が密すぎて、
医師が気づきにくいところに血管があったこと。
血が止まるまで入院すること。

いろいろと教えてくれた後に、

「どうしたらいいか分からんぐらい、
目の前でみるみるうちに弱っていったんや...。
あんなに朝元気だったのに」

震えた声を発する夫。
かなり広めな背中が折りたたんだように小さくなっていた。

こんな声や背中は、
当時結婚6年目で初めて。


体外受精が残念な結果とかどうでもよくて、
生きててよかった。っというレベルのように感じた。


夫は今でも「あれは医療ミスなのでは」と言う。

ただ、誤解を恐れずに言うと、
わたしのようなケースは稀らしい。

また、出血しても大抵の人は止まるものらしい。

倒れ込むほどの出血は珍しく、
どうやらわたしは珍しい人種の1人だったようだ。


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15日後に退院した。
季節が夏から秋へ。
外に出ると、明らかに気候が変わっていた。



涼しい風とか、
カラッとした空気とか、
ちょっと土っぽいにおいとか。

ちょうど今みたいな季節だ。

奇しくも15日後は、
大学時代の友人3人と久しぶりに会う予定だった。
そのうちの1人は遠方から来るため、
ずいぶん前から楽しみにしていた日。


たぶん、どこかのお店を予約していて
「美味しいもの食べながら語り合おう!」って言ってた日。


そんな日が退院日になった。


友人たちには
入院中に初めて自分が治療していることをLINEで伝えた。

退院の目処が立たないから会えるか分からなかったし、
彼女たちなら隠す必要もないと思ったから。


その後、退院日が会う予定の日だと伝えると、
「家に行く、会おう」っと言ってくれた。

夫に言うと、
「来てもらえ来てもらえ」と。

退院はめでたいとはいえ、状況が状況。
退院日に家で夫婦2人だと、
ポジティブな話し合いなんかできそうもない。


だから友人が家に来てくれるのは、
心の救いでもあったのだ。


彼女たちは、
「食べたいものなんでも買っていくよ。金額の上限なしだから遠慮しないで!」
と提案してくれた。


【サッポロ一番塩ラーメン】


上限があってもなくても、欲しいものがこれだった。

自分でもなぜ選んだかはわからない。
体が欲していた気がする。


ただただ、食べたかった。


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退院日当日。

自分の家にもかかわらず、
友人にラーメンを作ってもらった。

ラーメン5袋分入った鍋は、
一気にみんなでたいらげる。

その横には申し訳なさそ〜に、
高級ブドウとシャインマスカットが置いてあるけど
目もくれずラーメンをすする。

友人と何を話したかは、ほぼ記憶にない。

ただ、その日の終わりに
「今日はいい日やったな」っと夫が言ったのだけは覚えてる。

そして塩ラーメンをすすりながら、
笑っていた記憶だけは、ある。



この一件から、
気持ち的に「しんどーい」日は塩ラーメンを食べる。

また、
この一件から今現在、不妊治療はしていない。
今後する予定もないし、
いつやると決めているわけでもない。


夫は目の前で突然弱るわたしを見たくないらしく、
あんな怖い思いはしたくないらしい。

わたしが「それでも治療する」と言えば別らしいが、
自分から「治療しよっか」とは言えないらしい。


当然わたしも、
痛みとやり切れないあの時の感情を抱き続けるのはキツイ。
さらにあれから6年経って歳を重ねても、
そこまで強くはなれない。


振り返ると当時、
「結婚して6年なのに!」っていう焦りはあり、
「みんなと同じ」という概念に縛られていたような気がする。


しかし現在、結婚して13年目。
「普通」の概念に囚われなくなった夫婦共通の価値観は、


運良く授かれば育てるし、
授からなければ今のスタイルを楽しむだけ。
ということ。

先のことは分からないけど、それはそれでいいと思う。

強がりでもなく、
悲観しているわけでもない。




最近ネットニュースで
「不妊治療を経て妊娠しました」という芸能人のニュースを見る。

これに対して
「わたしも不妊治療で子どもを授かりました」
「同じ期間治療していました。この発信は心強い!」
というコメントがある一方、

「授かったから言えることだよね。あちら側の人間になりましたよーって自慢?」
「今も苦労している人がいるのに、そういう人の気持ちは考えないのか」
など、相当強めなアンチコメントも見かける。



正直わたしはどちらでもない。


ただ、「こんなわたし、好きです」っと声を大にして言う。

今のところ、
自分で決めてきた自分の人生に納得しているからだ。


さらに、これからは自分を大切にしよう
(もちろん家族も含めて)と、常に考えている。


アンチコメントのように、
余計な言葉に触れて自分を傷つけたくない。



そんなことを思いながら、
締切に向けてサッポロ一番塩ラーメンをすすっている。


今ちょっと踏ん張りどきだから?
あの時に似た風と香りに触れたから?

邪念はラーメンをすするたびに消える。
ただただ、食べたい。
それだけなのだ。


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