思いの丈を聞いてくれ
明日、4月22日。『Free!』シリーズの最新作、「劇場版 Free!-the Final Stroke- 後編」が全国の映画館にて上映開始し、2013年の原作小説発売から今日この日まで9年間続いてきた長い長い年月は一時終わりの幕を下ろす。
どうか明日が来る前に、6年前ただの何処にでもいる小学生だった私を抱きしめるために、ここで思いの丈を聞いてくれ。
序章
まずは、Freeとはなんなのかの説明をするところから始めたいと思う。
2013年にKAエスマ文庫より発売されたおおこうじ様作の小説「ハイ☆スピード!」から始まる怒涛の供給を続けているご長寿アニメ・映画シリーズであるFree!は、皆さんご存じ京都アニメーション様の作品で、まぁ男女問わず名前は知っている人が多いのではないかと思う。
具体的に言うと2013年の原作小説、成長後の高校生時代の彼らを描くアニメ1期2期、原作小説を映画化した中学生時代を描く劇場版、1期2期を再編した劇場版、完全新作のアニメを4編合わせた特別版、大学生の彼らを描くアニメ3期、3期を再編した劇場版、そして明日後編が公開される完全新作劇場版、という公開順だ。
今回はこの作品について、私の思いの丈を語る。
私にとってのFree!とは、「人生」だ。女オタク特有のクソデカ語彙で申し訳ないが、本当に「人生」だ。
オタクはオタクになる前の年月を全部忘れてしまいがちであるが、私も例に洩れずハイスピードを見てオタクに全身突っ込むまでの記憶がない。オタクとしての産声と同時にハイスピードがあり、オタク人生の全てにFreeがある。
約6年間の集積である思いの丈は具体的に言うと5000字程あるのだが、明日が来ないで欲しいと切に願っているオタクを哀れに思ってどうか最後まで読んで欲しい。そしてFreeを見よう。
ハイ☆スピードを見た日
6年前、私は最寄りの映画館で「心が叫びだかってるんだ。」を見ていた。劇場では大体映画が始まる前にもうすぐ始まる作品のCMを流しているもので、その時も色々な映画のCMが流れていたはずだ。
その中の一作。「映画 ハイ☆スピード-Free! Starting Days-」。私が生まれて初めて触れたFreeシリーズの作品で、平凡だった私の人生を良くも悪くも一変させた作品だった。
劇場でCMを見て該当作品が気になった私は、白地のシャカシャカとした素材の当時お気に入りだったコートを着て、1人で映画を見た。クソ寒い冬の日、12月13日だった。
(実家のテレビでもCMを見たような記憶があるが、当時地上波でアニメーション映画のCMが流れる様な事があったかと言われると怪しいので定かではない)
(がそういえばここさけのCMを見たのがハイスピードの時だったような気もするのでこの辺りの前後関係は不明だ)
何を見るにもスナックや飲み物を買わない派なのは当時から変わっていない為、鞄のみを持って、送って来てくれた母親に見送られ劇場に入る。
暗いシアタールーム。朧気な記憶ながらに女性客が多かったような記憶があるが、今考えれば年齢層的にまぁそうだろうなと思う。
そうして、一人で映画を見た。OPが流れて、映画が始まって、やがてEDが流れる。全て終わった瞬間の今まで感じたこともなかったような感動を、今でも思い出して泣きだせるほどに鮮明に覚えていた。永遠のようで、終わって見たらわずか1分にも満たなかったような気がしたあの時間。
人生で初めて息をするのも忘れるほど映画に魅入った。あの時の体験を上回る感動はもうきっと一生味わえない。
映画を見終わった私はすぐにパンフレットを買い、表紙を飾るシリーズの主人公、七瀬遙を延々と眺めた。枕の下にも敷いた。人生初の画面越しのリアコを拗らせすぎて夜な夜な会いたくて号泣したりもした。(ヤバイ。)
何の変哲もなかったあの日、Freeに出会ってしまった私の人生は、きっとここが分岐点だった。あの日ハイスピードを見ていなかったら今の私は絶対にいない。それは大きな悲しみでもあるが、人士最大の如何にも言い表せない幸福でもあると思えるから、あの日七瀬遙に出会えて良かったと心の底から思う。
2016年~2018年
ハイスピードを見て衝撃を受けた私は、家に帰ってすぐにFreeシリーズについて調べた。
父親のPCを借りて、2週間程度で全24話+OVAの視聴を完走。相変わらず夜な夜なパンフレットを眺めて泣きながら、人生で初めて知った「”””最高”””」の感情を噛み締めていた。
前述の「12月」というのは小学6年生の12月であった為、そう長い月日が経たない間に私は小学校を卒業し、ハイスピード内の主人公達と同学年である中学1年生へと進学する。知らない校舎。あの映画のようなセーラー服の私と、もう顔も思い出せない学ランの男子達。出会いの春。
勿論私も一人の人間であるので三年間様々な人間関係青春模様を繰り広げたわけだが、まぁそんなんは本筋に関係ないので割愛しよう。
私が喋りたいのは十数年の人生を6年間共にしてきたFreeへの思いの丈であって、同級生たちと繰り広げた青春偶像劇ではない。
私がFreeに人生を占拠されてから約2年、2017年の春。
アニメ版「Free!」(一期)と「Free!-Eternal Summer-」(二期)を作中登場する高校(岩鳶学園、鮫柄学園の2校)それぞれにスポットを当てる形で再編集し、新規書き下ろしシーン等も追加された映画、「劇場版 Free!-Timeless Medley- 絆/約束」が公開された。
当時はまぁ大層喜び、一切の躊躇なく2作とも見た。制作順の都合で加筆前には出てこなかったハイスピードのキャラなども登場し、あの頃回収されなかった関係性も回収され、ハイスピードから入った私にとってはもうある種妄想の具現化のような作品だ。最高。ありがとう京都アニメーションさん。
その後すぐに30分程度の作品を4篇合わせた完全新作「特別版 Free!-Take Your Marks-」も公開され、こちらでは普段あまり見ない他校キャラの様子や岩鳶以外でのキャラクターの様子を見ることが出来た。全然内容には関係ないんですけどTYMのキービジュアルが私は滅茶苦茶好きです。平和。未来。私の葬式ではこのイラストを壁一面に印刷して飾って欲しい。私の遺影よりデカく七瀬遙を飾って欲しい。
もうこれだけで十分向こう数年耐えられる供給だったわけだが、次年である2018年にとんでもない物が発表される。「Free!-Dive to the Future-」、アニメシリーズ3期である。2期から4年も経って3期が出るというのは中々嬉しいことで、更に推しの年齢を超す事に常に怯えているオタクからしたら推しが年を取り最大年齢が更新されるのもかなり喜ばしい事だった。
中学生時代を描いたハイスピード、高校生時代を描いた一期二期と来て、3期では大学1年生となった主人公達。高校時代は他校だったキャラ同士が同校になり、新キャラクターも登場し、後輩が残る高校の様子も描かれている。今更だけどこの量をちゃんとワンシーズンで描き切ったの凄いな。
新たな環境という事で様々な出来事もありつつ、過去や未来と見つめ合いつつ、本作は完結。翌年こちらも再編集・加筆された「劇場版 Free!-Road to the World-夢」が公開された。
どれをどれから見れば良いのかというのがFreeを履修するにあたって最初にぶつかる壁のような気がするが、私は公開順にアニメシリーズも映画も見て欲しい派だ。長くなるので映画のみを追っていく方法でも良いと思うが、映画にしかないシーンがある様に、アニメにしかないシーンも沢山あるので。
谷底にて
そして、2019年。分かる人にはもう分かるのではないかと思う。
何の前触れもなく、ただただ急に、私達を谷底に突き落とすかの様に、京都アニメーション放火殺人事件が起きた。
事件の惨状は酷い物で、メンタルにきすぎるからとニュースを全く見ないようにしていた程、毎日のようにどのニュースでもこの事件を取り扱っていた。当時Freeは既に新作劇場版の公開を発表していて、私の記憶が正しければ恐らく2020年公開の予定だったのだが、到底間に合わないのだろうなと思っていたのを覚えている。
谷底に落ちながらも映画公開を待っていた私を更に絶望の底に叩き落した出来事は、事件が起きてから数カ月経ってから起きた。
ニュースだがネット記事だかで公開されていた死亡者リスト。陳列される氏名。あってほしくなかった文字列がそこにはあって、上手く呑み込めなかった私は泣けもしなかった。
そこには原作である「ハイ☆スピード!」(小説版)の表紙から、全ての作品の創作が監督まで、Freeの絵に関するすべてを担ってくれていた西屋大志さんの名前が、書かれていた。
私は今でもこの方が亡くなったことを飲み込み切れていない。ある日ふっと、西屋さんが描いた遙たちがまた見られるような、そんなここちでずっといる。
事件が起きてから、映画に関してはずっと音沙汰が無かった。当たり前であって仕様の無い事だが、予定年が過ぎ、お知らせがなく、いつになるかも、公開されるかもわからない中待ち続けるのは、相当辛かったように思う。何も見えない暗闇の中を前に進めているのかも分からないまま歩いているようだった。
勿論実際事件にあった当事者の方々はもっと辛く、社員さんだってすぐに手を付けられるような状況ではなかったであろうことは重々承知している。繰り返し言うがこれは仕様の無い事だ。しかし取り残された人々と同じ様に、私もまたこの事件で傷ついた一人の人間だった。
あの夏の「おわり」
そうして事件から、2年。
「劇場版 Free!-the Final Stroke-」は、発表された。
この時私は、まぁ今もだが、喜べばいいのか、悲しめばいいのか分からなかった。映画が公開されることは素直に嬉しい。しかし「final」という言葉が、心臓に刺さって、抜けない。
初めてハイスピードを見たあの日から、私の人生には当たり前のように遙たちがいた。どんな時だってFreeが傍にあって、彼らのひたむきに前に進む姿に、あまりにも眩い泳ぐ姿に、いつだって励まされてきた。
だからこそ、「終わり」があるなんて、考えたこともなかったのだ。
心の整理がつかないままでも月日は無常に進んでいき、前編の公開日が訪れ、過ぎ。やがて見に行く前日になって、私はふらふらとFreeのグッズが飾ってある自室の棚を見た。映画のパンフレット。イラスト集。資料集。ドラマCD。劇場で買ったグッズ。聖地巡礼に訪れた際に市の観光協会で買ったグッズ。5年間の思い出が所狭しと飾られている。追い打ちをかけたのは詰まれた紙ものの中に挟まっていた1枚のチケットで、それはあの12月、人生が変わったあの日の、ハイスピードのチケットだった。
それを手に、私は深夜に一人、自室でボロボロ泣いた。
おわりを見届けなければ後悔することは、何よりもはっきり分かっていて、それでも当たり前にそこにあった作品の1つの終わりを見届けるのは、どうしようもなく悲しいことだった。
当日の記憶はあまりない。とにかく泣いて、呆然とショップに寄ってパンフレットを買う為レジに並んだ。レジ机には後編のムビチケの案内が飾られていて、金欠だったのにどうしても「買わなければ」という衝動にかられて購入。特典のクリアファイル(ランダム)を開封したら欲しかった七瀬遙の絵柄でまた泣いた。
それからまた数日が経って、数カ月が経って、歳を取って、2022年。今日。
発表されているキービジュアルにはシリーズ1期のキャッチコピーを踏襲した「400m先の未来へ」の言葉が、映画ハイスピードのポスターと同じ構図で立つ七瀬遙のイラストに添えられていて、もうここで本当に幕を下ろすんだな、と見る度に思う。
見に行くにあたって私は何の事前情報も入れないようにしていて、HPはおろか予告すら見ていない。YouTubeを見ているとトラップのごとくCMが流れる時があるので1秒程度は見たが。
上映初日である金曜日は流石に平日で見に行けないので、私が見に行くのは土曜か日曜だ。
しかし私が何日に見に行こうと関係なく、映画は明日公開される。finalの後編が公開されて、シリーズはどこかで幕を下ろす。
明日が来なければ、と何度でも思う。終わって欲しくなかった。いつまでも夢を追いかけていて欲しかった。真っ直ぐ泳ぐ姿を、例え私か彼らのどっちかがジジババになったって見ていたかった。
それでも前編の時に思ったように、どうしたって、見届けなければ後悔するのは分かっているのだ。
楽観的に行けば、某終わる詐欺漫画の様に「Free!-super final stroke-」でも公開されるかもしれないし。
wikiでキャッチコピーを見ていて、2期の欄に「その夏は、きっと永遠になる。」と書いてあるのを見た。確かに私にとって、Freeと共に生きてきた年月は、永遠にように長い夏だった。幸福な夏だった。
別にfinalが公開されたって、私とFreeの夏が終わる訳ではない。私がFreeを好きでいる限り、この年月は続いていく。でもきっと一種の「おわり」ではあって、長かった長かったあの夏は、別れの春に、一度おわる。
それは明日で、これを書いている今はもう、10分後だった。
さいごに
ここまで読んでくれた方々へ、そろそろ5000字に到達しそうなこのクソ長思いの丈をここまで読んでくれてありがとうございました。感謝。折角なのでFree!を見ましょう。Freeはいいぞ。各種動画配信サイトで見れます。今ならまだ追いつけるので。見ましょう。
彼らを9年間描き続けてくれた京都アニメーション様、あの時立ち止まらないでいてくれて、本当にありがとうございました。敬意と感謝と拍手を。
そして6年間私の人生を支え続けてくれたFree!へ、何物にも勝る感謝と愛情を、そして拍手を。貴方たちのたどり着く場所が幸福でありますように。
あと、6年前ただの何処にでもいる小学生だった私へ。ありがとう。ここで今貴方を抱きしめられる私であること、何よりもうれしく思います。
お付き合い頂きありがとうございました。思いの丈はここで終了です。足元に気をつけて、ご退場ください。
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