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本当は「子なし夫婦」も「DINKs」って肩書きもいらない

以前子どもを希望してなくて「子なし夫婦」であることについて書いたところ、たくさんのスキをいただきました。

これまでは「選択子なし」であることを大々的に言わない方が良いと思い続けていたので、いろんな方からの反響をいただき自分の中でつっかえてたものが取れたようなスッキリした気持ちになりました。

でももっと素直に言って良いのなら、別に自らを「子なし夫婦」とか「DINKs」って肩書きで括りたくないです。

これって同性愛者とかLGBTQとカテゴライズされる人たちもそうだし一般的に「マイノリティ、少数派」って呼ばれる人は割と抱えてるモヤモヤなんじゃないかなと思います。

同性婚が認められている国もあるとはいえ、少なくとも日本のマジョリティ、大半は「異性愛者」。
その反対だから「同性愛者」。

結婚してる夫婦のマジョリティは「子どもがいる」。
子どもがいなければ「子なし」。

だからマジョリティとは名乗れないし、自ら言わなけば何故か
「異性の恋人がいる」って思われたり、「結婚したら子どもを持つ」「子供がいないのは出来ないから」っていうレッテルを貼られたり、いらない追求をされますよね。

独身であれば「お付き合いしてる彼氏or彼女はいないの?」とか。
なぜ「異性愛者」である前提なんだろうって、異性愛者である私でも疑問に感じます。
その質問がしたいのなら「付き合ってる人はいるの?」で良くないって。なんで質問者がその人の性的対象を勝手に想定してるんだろう。
(恋愛トークバラエティとかいつもこんな質問してますよね・笑)
少なくとも私たちが住む日本では法律上の同性婚が認められていないのに。

30歳前後の女性は「子供はまだ持たないの?」や「35歳からは高齢出産だからそれまでには産まないと大変だよ」とかですね。
最近は40前後で出産する有名人なども増えてきたので、35を過ぎても今度は「40まではギリギリいける!」みたいな新しいおせっかいもありますね。笑

でも口先だけでない本当の意味でのダイバーシティ、多様性を広めていくためにこういった「カテゴライズ」は必要なんだろうなって思います。

言わなければ物言わぬ少数派、いわゆる「サイレントマジョリティ」になって、マジョリティ以外の生き方は「ないもの」とみなされる。

メディアでLGBTQであることのカミングアウトや「子なし、DINKs」といった生き方を公表される人に対し、コメントではをわざわざ「世間に言わなくてもいい」と言えるのは大半の人が該当者に当てはまらないからではないでしょうか。
また確かに同性愛者と子なしは「子どもを生み出さない」という点では反出生主義と見なされるのかもしれません。
でも個人の人生の選択と社会の問題を同一に見てはいけない。じゃあなんのために政治家が存在してるのって問いたいです。

これを読んで同性愛者と子なし夫婦を同列に語るなと思われる方もいるかもしれません。
ですがあくまでも想像しやすい例として挙げさせていただきました。

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