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写真はアートなのか、写真なのか

※個人的な感覚の言語化です。他の考え方も素晴らしいものであると理解してます。

結論から言うと「写真は記録であり、アートと表現するにはハードルの高いものである、どちらかと言えばアートになりにくいもの」ということが僕の感覚です。

まず、アートの定義とは一定の材料・技術・身体などを駆使して、鑑賞的価値を創出する人間の活動およびその所産。 絵画・彫刻・工芸・建築・詩・音楽・舞踏などの総称。 特に絵画・彫刻など視覚にまつわるもののみをさす場合もある。らしいです。

定義を確認すると写真もアートとして定義できる素養があるように感じます。ただ、写真は記録するものという大前提があるので、この素養は打ち消し合いになると言えます。

では、記録はアートにならないのかというと、ほとんどの場合はならないのではないかと思っています。

なぜ?

カメラで写すという行為自体には技術や機材、腕前にもよりますが、まったく同じ環境があれば誰でも同じものが撮れるはずという側面もあります。

であれば、写す対象にアートが完成していないとアートと称するのは難しくなります。

ここで必要になるのが「コンセプト」になるかと思います。あくまでアート写真はコンセプトの段階で完成していてあとはそれを記録するということで、アートに近づくイメージです。

次に撮ったあとの現像・レタッチ・合成などソフトウェア側での色味変更などの処理をかけ、アートに寄せる作業になると考えています。要するに現実の記録から外らせる必要がある。

写真は記録であるので、記録という部分を現像やコンセプトで曖昧にしていくことで、「他者が想像する余地」や「オリジナリティ」がある程度担保できるように変化する。

さらに言うなら人の心を動かすものアートと呼ぶケースもあるらしい。

アートの定義の理解は難しいが、ポトレ写真の場合はカメラマン、被写体、写真を見る第三者がいる。カメラマンや被写体がアートだと言い張っても見た人が、アートと判断しなければそれはアートという表現からは距離を置くことになる。

ポートレートをアートだと言う人はあまりいないのだか、ただSNS では「ヌードをアートとしてみてもらえない」と度々怒っている方を拝見する。

先述した通り、普通のヌード写真はあくまで記録で僕もアートではないと思っている。
※僕はアートでないヌードの方が好き。

そこに「コンセプト」や「想像できる余地」など、記録という現実を希薄にする他の要因がなければアートと表現するには無理があると思っている。

まとめると、写真が記録という現実は変わらないので、アートに昇華するためには、アート自体を写す必要があり、その後の味付けで少しだけブーストできるが、第三者がアートだと感じる心の動かせる、想像ができる曖昧なものにすることが近道。ただ、圧倒的なコンセプトが有れば曖昧にすることなくアートになり得る。ということが僕の感覚です。

最後まで見ていただきありがとうございます。もちろん、撮り手や写り手がアートだ!と思えば一つのアートの可能性がある写真だと言うことは理解しています。ただ個人的には、違和感がある。

アートを作り出せる人は、アーティストです。僕はカメラマンでもフォトグラファーでもないただの写真撮るのが好きな人です。自分の写真を冗談でアートぽいねと言うことがあってもアートだと思って撮ることは今後もないだろう。


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