少年たち 君にこの歌を──色を越えた関係
※現在公演中の「少年たち 君にこの歌を」のネタバレを含みます。苦手な方はご自衛願います。
そこにいた少年たちは私より、演じている本人たちよりも若かった。自らに迫る危機も、後の自分の境遇も後回しにして感情のままに動いていたのだ。
そう考えると素直な単語の意味のままの「少年たち」だったのではないだろうか。
ジャニーズファン歴の浅い私が唯一履修したSixTONES SnowManの劇場版作品では赤房と青房は脱獄を計画するまで一触即発、常にバチバチ という印象があった。
しかし、本作の11人は橋本・那須の本当の兄弟のようなバディ感、井上・佐藤のフランクで理解し合える仲、掃除を押し付けられた金指が猪狩と井上に嫌がらないのかと言われるなど”組み分けが違うだけ”の仲間のようあった。ただ不器用なだけ、勿論喧嘩はするけれど。
なぜ赤と青は争うのかと唱えるこの関係は今までの「少年たち」を観てきた方には物足りなかったかもしれないが、年の近い少年たちが同じ独房で毎日顔を合わせるのだからクラスメイトのように穏やかな空気になるのは自然なことと言えるのではないか。そう考えれば受け入れるのに時間はかからないはずだ。
これを踏まえて今回の少年たちが伝えたかったのはセリフにもある「誰と出会ったか」ではないかと考えた。いつどこで出会ったか、どんな立場なのかも関係ない。出会ったのは誰か、その人は幸せか。それだけだ。
色の組み分けを越えて仲間を思う、という部分がいちばん濃く描かれたのはクライマックスの脱獄シーンだろう。
劇場版にもこのシーンはあった。タスクだけも脱獄を成功させようと皆が時間を稼いで協力するシーンが印象的だ。観ていた私もタスクだけは!と応援していたが今回は自らが囮となった金指を瑞稀も止めようとしたり、鈍い銃声が響いた夜に瑞稀が酷く悲しみにくれている描写がある。瑞稀の歌声が震えていたり大昇が最後まで座り込んでいたりとそれぞれの葛藤が見えた。
思えば優斗が挙げた計画にも”優先的に逃げるべき人”はいなかったし、最初から当然のように全員で脱するのだと10人は考えていたのだ。
あの独房にいた11人が出会った仲間を大切に思い、10人はそれぞれの悲しみに向き合った結果が全員で脱獄することであり、金指の悲しみだけ皆が会いたい人に会えないこと、待ってる場所に戻れないことだった。
それを分かっていながら瑞稀の背中を押す優斗からはこの物語のなかでの成長が見られた。自分が正と考えていた橋本も那須の存在や理不尽を目の当たりにして落ち着きを得ている。彼らは少年たちの若さだからこそみられる性格の変化をしっかりと私たちに教えてくれた。
彼らの若さだからこそ演じられる少年らしさを、私はしっかり受け取ったのだ。