比較検討

手放すことをとにかく重視した2ヶ月前のシーンと、アクショニングを試しまくった先週のシーンを比較する。

と書いてから気づく。2ヶ月前も先週も「チョウのように舞い、ハチのように刺す」と目的を設定していたけれど、実際のところは2ヶ月前が「チョウ」重視、先週が「ハチ」重視だったんだなあ。まあ目指すところは同じです。なぜなら、刺すには舞わねばならぬから。

幸いにもどちらも映像に残してくださったので、けっこうじっくり見ている。ふだんは稽古の映像なんて、情報量が頼りない割にどうでもいいこと気にしちゃうので見ないのだが、前提条件をしっかり区別できる今回は冷静に見られる。同じシーンなので比較がしやすい。

さて……客観的には、どちらも早すぎる。特に2ヶ月前の「チョウ」が早い。Youtubeの再生速度をつい確かめてしまうくらい早い。0.75倍速でもほとんど違和感ないくらい早い。正直見ていられない。先週の「ハチ」はギリギリ通常速度で見ていられるが、こちらも聞く側には心地よくない早さである。理想は観客の理解の少し先を行くくらいの速度だが、これは初見の客に優しくない。おそらく相手役も聞くのに苦労したろう。
しかしスピードを変えようとしたわけでもないのに、「ハチ」がより理想のスピードに近づいている点は興味深い。どのようにしてそうなったかは、実は稽古時点でかなり実感していたところだ。アクショニングによって相手役へ要求する変化を明確にイメージすると、それにふさわしい時間を使うようになる。(ここでは時間とは変化のことを指す)
常に強く速く出さなければいけなかったのは、相手に届くかどうか不安だからだ。不安なのは相手を見ていないからだ。相手を見なくても(感じなくても)済んでいたのは、相手役への要求をイメージしていないからだ。どうやらアクショニングは自分の早口癖にも有効なようである。試して良かった。

アクショニングは、キャラクターにもかなり良い影響を及ぼしている。「ハチ」では、アクショニングに伴ってフォーカスが明確になっており、それがキャラクターにふさわしい身体(在り方)をつくっているように見える。一見、「チョウ」より地味になっているが、リアリズム的な良さがある。連続性もある。
2ヶ月間の身体の勉強とワークもささやかだが確実に活きている。これに関してはコツコツ続けよう。別でまとめているのでここには書かない。

戯曲のセリフから読み取れる面白みをのうち、「チョウ」でしか実現できていないものもある。セリフが発生する動機をセリフの内容で完結させることにこだわったおかげだろう。必要な読解の一つだ。しかしこれだけではセリフ内容以外の豊かさに欠ける。実際「チョウ」は出来事の面白みに物足りなさがある。それは演劇においてかなり残念なことだ。単純に言えば情報量が少ない。
「ハチ」では相手役とあまり稽古していないことも踏まえると、アクショニングがいかに有効だったか。

「チョウ」の自分が「ハチ」と比べると、イキイキしているのは好きだ。こういう芝居が必要になるときもある。ただ相手役ともっと遊べたなとは2ヶ月前も思っていたし、いまはもっと思う。「チョウ」でやれたことと「ハチ」でやれたことは、同時に実現できるはずだ。

身体がだるくなってきた。ここまでにしよう。
たくさん振り返りたいことがある。思い出話にしかならないようなものも。でも思い出話はひとと会ったときに楽しく話したいね。悔しさをエモでごまかすのはもっとつらいことだから。悔しさのエネルギーを、正しく使う。


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