わかるわからないでもなく、おもしろいでもつまらないでもなく、なるべく覚えておこうと思う

 そんな意図があったのかー
 と批評を読んだりアフタートークを聞いたりして楽しむやつ

 人それぞれ楽しみ方があるからこそ他人の批評をたのしめるわけで。
 自分がわからなかったことは全く問題でないし
 わからないうえに何も面白くなかったとしても
 それを面白がってみている他人がいることは面白いから
 それでいいじゃないか
 なんてことは当然わかっているのだけれど
 
 他人の感想をみて、作者の意図を知って、
 あれ、自分とあの作品と出会って生まれたものって
 大したことなかったんじゃないかとか
 何もわかっていなかったじゃないかとか思っちゃう時がある

 全然そんなことはないこともわかっている。
 けど思ってしまうから自分にフォローを入れておきたい。
 
 それはだって作者が批評とか意図を説明する言葉で描ける程度のものだったんじゃないかとか、表現できていなかっただけじゃないかとか、色んな可能性がある。
 自分にそれを読み解くコードが欠けている可能性も、もちろんある。
 あるいは同じ言語を話しているようで全く違う言語である、みたいな掛け違いもありうる。
 私が認知できなかったり思い出せないだけで自分のあり方に影響を与えている可能性もある。これは演劇がどのように面白くなるか観客はわからなくても演劇をみて楽しめるだろ、みたいなこと。

 あとはあれだ
 ふと5年後ぐらいに、
 ああ、あのとき芝居でみたアレは、このことじゃないか!てことは…
 みたいに気づくこともありうる。

 だからわかってもわからなくても、おもしろくてもおもしろくなくても、なるべく覚えておこうと思う

 高校生のときいろんな演劇みてチンプンカンプンだけどとにかく燃えていた自分がかつて達した結論が、これだ。
 
 覚えておくはもう少し具体化できる。
 語る。再現する。あるいは、ただ思い返す。
 これ、全部良い時間だなあって思うのよ最近。ほんとうに。良いって思えることが嬉しくて涙がちょちょぎれるね。

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