前髪センター分け穏やかふわふわ眼鏡お兄さん

キャラクターコンテンツに傾倒するオタクなら誰しも、「この要素を持つキャラクターがとにかく刺さる」というものがあると思う。
私にとってのそれは、前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)だ。前髪がセンター分け、優しく穏やかな性格で一人称が「僕」、眼鏡を掛けているとなおよし。そんなお兄さんが、とにかく刺さる。

前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)がたくさん見たい。前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)をたくさん集めて国とか作りたい。そんな一心で前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)を探し求める日々。
しかし理想の前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)はそう簡単には見つからなかった。というか何て調べたら前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)に出会えるのか全然わからん……なんなんだ前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)って……。
そもそも、前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)が「刺さる要素」として条件が多すぎるうえに細かすぎるという自覚はあった。
おそらく「前髪センター分け」のひとつでも諦めれば、好みの穏やかお兄さんにはたくさん出会えるのだろう。だが、前髪がセンター分けではない穏やかお兄さんには、いまいち心が動かなかった。眼鏡を掛けていたとしても、やはりだめだった。「前髪がセンター分けだったら絶対好きだったな」と思ってしまうほどに、私は無意識のうちに前髪センター分けに非常に強いこだわりを持っていたのだ。何が自分をここまで駆り立てているのかわからなくて怖い。

ああ前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)よ。まだ見ぬ前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)に思いを馳せる。きっとこの世界のどこかには理想の前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)がいるはずなのだ。そう、いるはずなのだ…………。

ウソ!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?

いた!?!?!?!?!?!?!?!?!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

本当に全然関係のない調べものをしているときにたまたま出会った前髪センター分け穏やかふわふわ眼鏡お兄さん、ゲーム「文豪とアルケミスト」に登場する中野重治さんだ。
前髪センター分け穏やかふわふわ眼鏡お兄さんすぎる前髪センター分け穏やかふわふわ眼鏡お兄さんだなぁ……ちょっと……前髪センター分け穏やかふわふわ眼鏡お兄さんすぎやしないか……?
ずっと前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)を願い続けていたら前髪センター分け穏やかふわふわ眼鏡お兄さんすぎる前髪センター分け穏やかふわふわ眼鏡お兄さんに巡り合うことができた。信じ続ければ夢は叶うってワケ。

文豪とアルケミスト、タイトルだけは知っていた。
かなり前に人から勧められたことがあったが、そのときはソシャゲが苦手だとかそこまで好みのキャラがいないとかであまり響かず、手を出すことはなかった。また、当時は前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)が自分に刺さる要素ではなかったため、もしそのときに中野さんに出会っていたとしても始めることはなかっただろうなと思う。
月日が経ちなんかいきなり前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)が刺さるようになり回り回って特務司書デビュー。そしてもうめっちゃハマっている。以前から私の生活の中にあったかのように、するりと馴染んでいる。
中野さんがあり得ないぐらい全部が好みだったことに加えて、私の「好きになったものを追いかけ回し調べまくるオタク気質」と文アルの相性が良かったのだろうと思う。少し触っただけでもこのゲームが「史実の文豪たちの作品に触れる入口となること」を目的のひとつとしていることを察して、オタク気質に火が付いた。
浅学のため作家・中野重治氏のことは存じ上げておらず、どんな作品を書かれている方なのか何も知らない。でも知りたい、読んでみたい。そう思ったら居ても立っても居られずすぐに本屋に足を運んで、「歌のわかれ・五勺の酒」の文庫本を買った。ほかの作品も読みたくて、古書店にも行った。

これは古書店巡りのリザルトです。
資料集買ってよかった。
欲しすぎたので、取り寄せた。

詩集「夜明け前のさよなら」は本当に気に入っている。
思えばこれまで詩というものに意識して触れたことはなく、なんとなく「綺麗な風景なんかを短く抽象的な言葉で描くもの」というざっくりとしためちゃくちゃに勝手なイメージを持っていた。
中野重治氏の詩は、私の持つ勝手なイメージを打ち壊した。力強くも儚さとものかなしさを感じることばの数々に圧倒され、短いことばの中に籠められた想いに、感情に、胸を打たれた。
文アルの中で詩人の武器は銃とされているようだが、言い得て妙だ。ことばのひとつひとつがまっすぐに心を貫く。本当に月並みな言葉でしか表現できないのが悔しいが、詩ってすごい……!!
私は今まで気づいていなかっただけで詩がかなり好きかもしれない。いろいろな作品を読んでみたいし、なんなら自分でも書いてみたいと思う。

中高生の頃はよく本を読んでいた。
とは言っても近代文学を好んでいたわけではなく、ライトノベルが主だった。あとはこの頃からすでに例のオタク気質を発揮しており、ギャグマンガ日和にハマりすでに絶版になっていた「ヒュースケン日本日記」を探し回って購入し読んでいた。変なガキである。
そのころに母が「好きだから」と貸してくれた江戸川乱歩の短編集と、父の本棚から勝手に持って行った「蟹工船」のことはよく覚えている。
特に蟹工船は少し読んで、「あ、これは今の私が読むものじゃないな。大人になったら読もう……」とすぐに閉じてしまった。そのあと蟹工船を父の本棚に戻したのか自室に放置したのか、というかそもそもなんで蟹工船を選んだのか、本当に何も覚えていないが「大人になったら読もう」と思ったことだけは確かだ。
そんな蟹工船と私の因縁めいた思い出が文アルをきっかけによみがえってきて、大人になった私は蟹工船を読んでいる。もしかして人生の伏線回収か?これは……。
なんだかいろいろなピースがうまいこと嚙み合って、ハマるべくしてハマったような気すらしている。だってよりによって蟹工船なんだもんなァ……。

入口は何にせよ、自分の世界が広がるのはいいことだ。ここ数ヶ月続いていた仕事の忙しさのせいか最近は「なんか日々に喜びがない~……」と思っていたが、今は本を読むのが毎日の楽しみのひとつだし、休日は古書店をぶらぶら巡るのが楽しい。秋に金沢旅行の計画も立てた。詩も挑戦してみようと思っている。
もう長年音楽ゲームに浸り続けていたが、ひさしぶりに新しいコンテンツにしっかりとハマりなんだか生き生きしている。もちろんイオ・ロアのことも輪廻の鴉のこともまだまだ大好きなので、一緒に大切にしていきたい。(※このnoteには1記事1イオ・ロアのポリシーがあるため、かなり唐突にイオ・ロアの名前が出てくることがよくある。ポップンミュージックの最推しです!!)

いきなり前髪センター分け穏やかふわふわお兄さん(眼鏡を掛けているとなおよし)があり得ないぐらい刺さる体質になってよかったなぁ。
中野さん、おいしいごはんをいっぱい食べて健やかでいてください。