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27w982gでの出産。NICU生活から退院までの奮闘記。

羊水過少症で982gの男の子を出産した記録はコチラにて。

もうすぐ5歳になる息子は数えきれない人の支えのもと元気に生まれ、毎日ニコニコ笑顔を見せてくれている。

これは出産から退院までの3か月の記録。
こちらも5年前のことなので、きっと今の医療は更に進歩していることだろう。
本当にすごいよ、日本の医療!!

小さいけど生きてる!!人間って、命ってすごい。

982gで生まれた息子は 産後一瞬だけ私に姿を見せてくれたあと、すぐにNICUに運ばれた。
息子をしっかり見ることができたのは出産の翌日。

たくさん並んだ保育器の中から我が子の前へ。 
すごくドキドキしながら対面。

「ちっちゃいーーーーー。 でもちゃんと生きてるーーーー!!」

対面した息子は、とにかく、とても、とても、小さかった。まぁまぁビビるくらい(笑)

大人の両手の手のひらに乗るくらいのサイズ。
でもちゃんと赤ちゃんで、もぞもぞ動いたりしている。

人間ってすごい。
命ってすごい。

通常は10ヶ月かけて、お腹の中で準備を整えから外の世界に出てくる赤ちゃんが、 3ヶ月も早く外の世界に生まれるというのはどれほどのことなのだろうか。

よくわからない。
でも、目の前の子は確かに生きていた。細い管をたくさん付けられていたけど、元気そうだった。

もう昨日までの出来事は夢のように遠い昔のこととなり、私はしっかりと母になった。

神様ありがとう〜。みんなありがとう〜。ひとりでバンザイ。

出産から2日後、初めての母乳をあげた。といっても綿棒の先に母乳を浸して口元に触れる程度。でも口をもごもごさせていていた。本能だ。感動した。

生後1週間くらいはその程度のことを授乳と呼び、実際にはほとんど母乳を口にしなかった。おなかが空かないのか心配になったけど、そういうものらしい。

そして母となった私は自分の胸から直接授乳することができない中、搾乳をして身体に母乳を作ることを覚えさせなければならなかった。

これが何より辛かったかもしれない・・・

愛だけではなかなか・・・搾乳生活が辛すぎたハナシ

通常は赤ちゃんがおなかがすいたら泣いて、母親は眠い目をこすりながら母乳をあげる。しかし、私の場合、息子はNICUにいて泣き声も聞こえなければ姿も見えない。

そんな中、夜中も目覚ましをかけて3時間おきに起きては搾乳をしなければいけない・・・。

眠い・・・。ツライ・・・。

でも習慣化しないと身体が母乳を作らなくなってしまうとのことで、病院からは頑張ってねと言われていた。

我が子への愛情とは別物で、夜は普通に眠い(笑)赤ちゃん泣かないのに、求められないのに、起きれないっす。

入院中も大変だった3時間おきの搾乳。退院して自宅でとなると、なおさら大変だった・・・。

病院では、気持ち的にも環境的にも搾乳しようと思えたものの、自宅だと普通の生活を送りながらになる。2歳の娘との普通の生活が舞い戻り、赤ちゃんがいる生活とほぼ無縁となった退院後の生活。

家事や用事をしていると3時間はあっという間に過ぎ、夜中は普通に寝てしまう。ハッ!と起きてリビングでひとり搾乳をするのは正直きつかった。

そして、その母乳を片道30分かけて毎日車で病院に届ける日々が始まる。

NICUに通う日々。毎日が成長。

産後1週間で私は退院。息子だけ病院に置いていくのはとても辛かった。でも小さなかわいい息子を見て、4人家族になった幸せと安堵感を噛みしめて久々の家に帰った。

退院後は母乳を届ける必要もあり毎日病院へ通った。もちろんそれでなくても会いに行くのだけど。

平日はNICUの面会可能となる13時から娘のお迎えまでほぼ毎日NICUに通い、保育器の横で座って息子を見ながら過ごした。

2歳の娘の世話と、家事と、NICU通いで毎日はなかなかヘトヘトではあったけど、病院で1日1日スクスクと大きくなる息子、できることが増える息子、小さな身体にたくさんの管を付けて頑張る息子の姿から得るパワーはすごかった。

人間の命の奇跡と神秘を毎日見ているようだった。

生後10日。1010g。初めて息子を抱っこ。

それまでも、保育器に手を突っ込んで息子に触れても良かったのだけど、まだ免疫も弱く感染症に注意が必要だったため何かあったらと思うと怖くて触れることよりも見つめていることの方が多かった。

生後10日目、看護師さんが「抱っこしてみますか?」と。

「え?いいんですか?」
「もちろん。」

抱っこと言っても両手の手のひらの上にそっと乗せてもらっただけなのだけど、すごく温かかった。モゾモゾしている。

なんと愛おしい生きものなのだ!

生後30日。1358g。1か月バースデー。

病院に行ったら保育器の横にすごくかわいいバースデーカードが置いてあった。体重や身長、頭囲や胸囲のサイズ、手形足型。

まだ免疫力が弱く、呼吸器をつけており、チューブを通して母乳を飲んでいる息子は、NICUの医師や看護師が24時間体制で見守り、お世話をしてくれていた。

面会中も呼吸器などのアラート音が至るところでピーピー鳴っている。小さな命を預かっているという
緊張感は半端ないはずなのに、看護師さんはみんな穏やかで優しかった。

本当ならば私がおっぱいをあげてオムツを変える。
そんな母親としての役割を果たせていないことに、心苦しさ申し訳なさを感じる中、 息子はこんなにみんなに愛に包まれていると思うと、安心と感謝でいっぱいになった。

病院側の心遣いに触れて本当に感謝してもしきれない。

生後39日。1614g。ついに胸に抱く!カンガルーケア。

そろそろできますよということで、カンガルーケアと呼ばれるものをした。 

リクライニングチェアのようなものに座り、 息子を胸の上に乗せてもらう。肌と肌を直接触れ合わせる。最初はビックリしたのか泣いていた息子も徐々に落ち着いて胸の上でスヤスヤ。

手のひらに乗せた時よりもその小ささを実感。でもとても温かくて、命を感じた。かわいい、かわいすぎるよ。

一緒に寝ちゃってもいいですよと看護師さんが言ってくれたけど、小さすぎて抱っこというより、本当にただ胸の上に置いて手でそっと支えている感じだったので、寝たら落としてしまいそうで怖くて、ただそのまま1時間ほど過ごした。

息子はめちゃくちゃかわいかったけど、ぶっちゃけ緊張感はハンパなかった…。

生後58日。2040g。2歳の娘、初めて弟を見る。

NICUからひとつ部屋が出世して第2NICUに移った。
第2NICU移るとガラス越しの対面が可能になる。今まで全く弟に会えなかった2歳の娘がついにご対面。

第2NICUの中で息子を抱っこする私を、向こうからガラス窓にへばりついて見る娘。理解しているんだかしていないんだかわからなかったけど、帰ってから聞いたら「赤ちゃんかわいい」と言っていた。
早く4人で一緒に住めますように。

生後63日。2284g。哺乳瓶の練習。2㏄。
生後78日。初めておっぱいをあげる。18㏄。

982gで生まれた息子が、2300gにまで成長。
綿棒の先を口につけるだけだった授乳が、哺乳瓶やおっぱいから飲むことができるようになる。

こんなに小さいのにできることが増え、生きるための術を身に付けている。一つ一つすべての成長に生命力を感じる。

本当に本当に大きくなった。

哺乳瓶の練習をすると少し呼吸にふらつきが出るので、呼吸器で補助をしたり、一進一退だけど退院までもう少し。

宝となる特別な出会い

このNICU生活の裏には素晴らしい出会いが数々あった。なんといっても、同じように1000g未満で生まれた赤ちゃんのママたち。

病院にとっても珍しいことだったみたいだけど、私の出産を筆頭に3日連続で1000g前後の未熟児が誕生した。

病院側では「まじかーーーー」という感じで当時相当バタついたらしい(笑)

そして1か月後にもう1人誕生し、私たち4人は友達になった。全員1000g未満で同じ月齢という、稀有な仲間。

病院側のドタバタは露知らず、私たちは各々の出産を必死でやり遂げ、その後NICU通いで顔を合わせるようになり、なんとなく声を掛け合い友達となる。
大変だったNICU通いも、おかげでとても楽しい思い出となった。

幸いにも生まれた赤ちゃんは全員大きな障がいを抱えることもなかったけれど、決して予後は油断できない中で、みんなでみんなの赤ちゃんの成長を見守り、一喜一憂し、励まし合い、ママ友というよりも同志、戦友のような存在になった。

日々は楽しく穏やかに過ごしていても、NICUでは体重増加や授乳の量などと共に、呼吸の状態や視力の状態など、様々な検査やチェックが入る。
そのたびに一喜一憂するのだけど、その気持ちを一緒に分かち合える友達ができたことは、長いNICU通いの大きな支えになった。

そこからもうすぐ5年。
毎年合同誕生日会をしたり、時々遊んだり。去年はコロナで1回も会えなかったけど、大きくなったみんなに会いたい。

退院。はじめまして太陽、風、家族。

出産から3ヶ月と2日。ついに退院!
季節はすっかり春から夏に変わっていた。

NICUの方々や友達に見送られ、息子は新たな1歩を踏み出した。

完璧に空調管理されていたNICUから、自然の中に。

初めての太陽。
初めての風。
初めての音。

そして初めての家族の温もり。

2歳の娘も不思議な顔でお出迎え。

ようこそ我が家へ。

今回振り返ることで改めて多くの方の支えがあり、
数々の困難を乗り越えらたことを感じる。
人はひとりでは生きられない。生まれた時からずっと支えられている。

妊娠も出産も、命は奇跡。

それからもうすぐ5年。
今日も我が家はにぎやか。息子は自閉症スペクトラムではあるけれど毎日楽しく騒がしくやっている。

そんな日々の記録はまた少しずつ書こう。

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