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田舎の風景

 昔、用事があり北上線に乗った。乗車してすぐに車窓には、夕暮れ時で各家々には明かりがともり煙突からは夕餉の支度の煙が立ち上っていた。そこには人々が暮らしている気配が感じられ、程よい心地よさが身体を包んだ。
つい最近、久しぶりに実家の後始末のために帰郷した。相変わらず人一人歩いていない。急に妻が「過疎というが、昔の過疎に近い田舎でもなんかゆっくりと時間が流れ、みすぼらしさは感じられなかったが、今の過疎といわれる町はほんとうに何もなく寂しさを通り越してしまっているね、なぜだろう」と言い出した。
 過疎の町に残された風景は、経済成長とともに建設されたいわゆる近代的な建築と舗装された道路が走っている。いまそれらは、機能を失い必要がなく誰からも見向きもされず、長い間そこに暮らしてきた人々の気配や影は感じられず、残骸としてしか残っていない。近代の町や建築、道路は、機械の部品のように等価交換が次々と行われ真新しい団地や町へと移転していった。いまでも、人々は生活を営んだ痕跡さへ残らない、いつしか見捨てられていくそんな町に住み続けているように感じられ、その病はどこからきているのだろうか。
 
 
 

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