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個展【BORDER】テキスト

【BORDER】

 ”自分と他人(または外の世界)の境界線とはどこだろうか。
  肌から内側が自分というわけでも、
  肌から外側が他人というわけでもないだろう。”

 「自他の境界線はどこか」は、私の制作の中で一貫して掲げてきたテーマです。
この数年で改めてこのことについて考えなければいけない事柄に直面しました。
赤ん坊は「自己」という存在を確立するまで自分と他人の境界線を知りません。
私たちは成長と共に「自己」を確立し「他」を認識して生きているはずなのです。
しかし、その境界線はわかりやすいものではありません。
 人はなぜその人のことをその人として扱うのでしょうか。目にみえるものだけでは、その人の年齢・国籍・性別も判断できるものではないのです。その人の輪郭、カタチはどこにあるのでしょうか。

 このテーマについて考え続けて、人々の境界線というものは曖昧で危うく、すぐ決壊するダムのようなものなのではと考えていました。
それについて私は観察するような目で、自分にも関係することだと言いながらどこか他人事のように思っていたのかもしれません。
 自他の境界線が危ういものだとしても、自他が一体化してしまうということはあってはならないことなのです。それは、自分のカタチも相手のカタチも見失うということであるから。
 私は今まで自分自身が誰かの領域を侵してしまっているのではないかという危機感を持っていました。しかし、最近になって自分の境界線が他人に侵されていることがあるのだと自覚したことがありました。自分の境界線がいかに脆いのかということを知りました。
 「自分と他人の間に境界線を引く」というのは「他人と距離を取ること」ではないのです。
 むしろ他人と密接に関わる時、私たちに肉体と肌という物理的な境界がなければ他人の身体に触れられないように、心にも境界がなければ他人の心には触れることができません。
 だから自他の境界線をしっかりと持つこと、そして相手の境界を侵さないことが重要なのです。境界線を守ることは、自分と相手の尊厳を守ることなのです。

 そこで私は改めて自他の境界線とはどこなのかを考えます。
私が触れるもの、目に映るもの、感じるもの、関わる物・事・人の全てに私と外の世界の境界が存在する。
 今回の個展では、継続して制作してきたSkinシリーズに加えて身体以外を描いた作品も展示しています。そこにも境界はあるのだと注意深く観察するのです。

 この度は加賀谷真秀個展にお越しいただきありがとうございます。
22歳の時、初めて外での展示を経験したのがここ、ゆう画廊でした。
あれから年月が過ぎ、私は30歳を迎え10回目の個展をゆう画廊で開催できることを嬉しく思います。

2024年7月 加賀谷真秀


2024/7/29-8/4
加賀谷真秀個展【BORDER】
at 銀座ゆう画廊
にて展示されたテキスト原文まま

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